西欧的論理思考とは、一般的には「デカルトの三原則」といわれる「把握」「分析」「(再)統合」と、その基礎となる「分類の三原則」といわれる思考を指します。

この「分類の三原則」とは何か? 1つ目は「全体性の原則(存在するすべてのものが一つの秩序のなかに完全に統括され、外部に何も残らず、漏れのないようにすること)」です。2つ目は、「排他性の原則(その秩序のなかで、互いに重複して分類されるものがないこと)」。最後は、「非超越性の原則(分類の基礎が同じ「階」=抽象レベルにあり、「階」を超えた分類基準が存在しないこと。例を挙げれば、ネコとイヌはよいが、ネコとチワワはNG)」のことを指していると考えてよいと思います。

英語を学ぶことは、日本的な思考から離れること

残念ながら、このような個のレベルでの一貫性を担保するために境界を拡大していく西欧的論理志向の原則に対し、相互協調的自己構造と、際限なく細分化を行う「内向きな」思考傾向を有し、概念定義が曖昧で抽象概念への感度が低い日本語を母語とする日本人は、うまくフィットすると言えないのが現状です。

とりわけ日本人が弱いのは、欧米人には当たり前の「非超越性の原則」です。これは、抽象度の低い日本語に起因し、日本人の思考形態に埋め込まれた特性であると思われるので、特に意識することが必要です。

そもそも、日本人の英語が上達しない根本的な原因は、完璧主義や内気ではなく、「伝えるべき意見や主張を持たない」ことであることを自覚する必要があります。伝えるべき意見がなければ、苦労しても英語がうまくなりたいとは思いません。

この意味で、英語を第2の思考形態として獲得し、日本語を外して考えることができるようになることが、この欧米的論理思考を身につける近道であると思います。これは、日本的思考の相対化を可能とし、想像力を高め、日本的思考の限界も認識させてくれるはずです。英語を単なるツールと捉えていては、これはできません。もったいない限りです。

カタカナ英語を使ってはいけない

英語を習得するにあたっては、以下の3つのことをまず実践してほしいと思います。

1.「カタカナ英語」は使わない

カタカナは、意味がわからなくても使えるので便利です。その利便性によるのか、昨今の日本社会ではカタカナの氾濫が止まりません。「コンプライアンス(compliance)」や「ガバナンス(governance)」など枚挙にいとまがありません。

また、ある英語の単語を本来の意味でない使い方をしてしまって誤解を与えるという問題もあります。例えば、「ナイーブ(naive)」は日本語では「純真な」という良い意味で使われますが、英語では「幼稚な」といった悪い意味で使われます。