川崎市多摩区の路上にて19人が殺傷された事件で、若手論客・古谷経衡氏がマスコミ報道の異常性を語る――。

川崎襲撃事件の再発を防ぐ方策とは

この事件を巡って異様な報道が続いている。今次の大量殺戮(テロ)は、岩崎隆一容疑者が自死していることから、逮捕→送検→起訴→公判→判決という一連の刑事手続をマスメディアが追うことができない。よって報道各社は所謂「絵」づくりに奔走し、「犯人の家からゲーム機が見つかった」など苦肉の些事に拘泥し、またぞろ当該事件の主舞台となったカリタス小学校の保護者などに無思慮なレンズを向けた。テレビでは精神科医が岩崎容疑者の精神状態をプロファイリング。どこの世界に直接患者を問診せずに精神状態を分析できる精神科医がいるのか。

視聴率のため、社会性を盾に無思慮なレンズを向けるマスコミ。(時事通信フォト=写真)

岩崎容疑者の自死で、犯行動機が判然としない中、容疑者の生前のおぼろげな生活実態から「ひきこもり」の傾向にあり、社会的孤立・孤独状態であったことが明らかになりつつある。

なんとしてでも「絵」を求める各社はこれに飛びつき、大量殺戮の背景には「ひきこもり」や「社会的孤立」があるというニュアンスの報道が大量に出た。

繰り返すが、岩崎容疑者は自死し、犯行動機を書いた遺書などもなく、動機の解明は困難を極める。しかし大量殺戮と「ひきこもり」「社会的孤立」を紐づけた報道が続き、いよいよ「中高年のひきこもり問題」という問題が捏造される。この風潮に「ひきこもりUX会議」は「ひきこもりと殺傷事件を臆測や先入観で関連づけることを強く危惧する」との声明を出した。

「ひきこもり」と大量殺戮には相関性はなく、同時に「社会的孤立・孤独」と大量殺戮にも因果関係がないことは、社会学的に立証されている。が、これを延長していくとそもそも「ひきこもり」は悪なのか、という問いにぶち当たる。それは「社会的孤立・孤独」は悪なのか、という問いと同義である。

この社会には能動的にひきこもりを選択している人間がいる。報道によれば岩崎容疑者は同居親族との手紙のやり取りに対して「好きでこの生活をやっている」という応答をしたとある。岩崎容疑者が「ひきこもり」状態であったことは否めないが、それがただちに不幸や絶望であると結論を出すのは、「社交的で外出を好む人間は明朗活発で善人に違いない」という根拠のない人間観に基づくもので、あまりにも早計だ。

同時に岩崎容疑者が、近隣住民とも交流がなく、「社会的孤立・孤独」状態であったことも明らかになりつつある。しかし、筆者もそうだが、近隣住民との封建的でムラ社会的な交流にストレスを感じ、煩わしい人間関係から能動的に社会的孤立・孤独を選択する人間は、この社会には多い。