カリスマ性と発想力を併せ持つ、イノベーターの幸嘉氏。会計を学び、大企業でエンジニアリング、プロジェクトマネジメントのスキルを学んだ重治氏。真逆のタイプともいえる2人ですが、見方を変えるとCEOとCFOの関係とも見えます。実は、イノベーターと番頭役のコンビが創業したことで成功したとされる企業は、少なくありません。ホンダの本田宗一郎氏と藤沢武夫氏、マイクロソフトのビル・ゲイツとポール・アレンの例しかりです。
ここで解説したい第1の経営学の視点が、世界のイノベーション理論である「両利きの経営」(Ambidexterity)です。あらゆるイノベーションは「新しい知の探索」と「既存の知の深化」をバランスよく両立させることで成り立つという考え方で、91年に米スタンフォード大学のジェームズ・マーチが提唱して以来の主要理論です。
しかし、多くの企業はコストや手間を惜しみ、やがて「知の探索」を怠る傾向があります。その結果、中長期的なイノベーションが停滞する「コンピテンシートラップ」に陥るケースが多いのです。そのような事態に陥らないためには、何が必要か。さまざまな可能性がありますが、ここで興味深いのは、1人ではなく2人の異なるタイプの経営者がペアを組めば、まさに知の探索と深化のバランスを保ち、「両利き」を維持できる可能性です。
私の見立てでは、協同商事の場合も同様だったと考えています。03年、重治氏が副社長に就任したとき、同社はコンピテンシートラップにはまっている真っ最中。業績は低迷し、従業員の表情や言葉にも焦りと不安の色が見て取れる状態だったといいます。
レストランもすべて閉店
「入社して財務諸表を作ってみると、損益勘定も資産勘定も危うかった。これは大変だと、本気でリストラに取りかかりました。惰性で続けている事業、既に機能を終えている事業はどんどんたたみ、運営コストを下げていきました。3店舗あったレストランもすべて閉店しています」
実際、鉄の意志を持ってリストラを断行した重治氏でしたが、他方でビール事業をやめようとはしませんでした。まさにビールにおける「知の探索」は続けたわけです。
しかし、この決断もまた簡単なものではありませんでした。「当時、1度盛り上がった地ビールブームは急速に衰退していました。94年、ビールの最低製造量が引き下げられたことで、にわかに生まれた小規模醸造所の中には技術力の低いブルワリーもあった。地ビール全体の評判が下がったところに、デフレが追い打ちをかけました。地ビールは定められた副原料以外の農産物を用いるため、発泡酒に分類されるものも多いのですが、世間では発泡酒だから安いだろう、と捉えられてしまう。小江戸ビールも例外ではなく、売り上げは低迷していました」。しかもタイミングの悪いことに、幸嘉氏は事業をスタートさせてまもなく、大規模工場を設立していたのです。