「幼い頃、時間を守らないと『銀行は1分も待ってくれんぞ』と叱られたものです。もちろん意味がわからず、きょとんとしていましたが。

一方、好きなことをやらせ、体験の幅を広げるためには投資を惜しみませんでした。例えば高校のとき、担任の先生に社会性を身につけるためアルバイトをさせてはと勧められたのですが、父は『18歳の1時間を700円で売らせたくない』とはねのけ、好きなテニスに邁進させてくれた。その後、デザインの勉強をしたいと言い出したときも、まず本場を見てこいとヨーロッパ旅行に行かせてくれました」

親元に身を置いていては得られない知を、未知の世界でつかみとってきてほしい――「おまえには継がさへん」と言い続けたのも、もしかするとその一心からかもしれません。

会社を成長させる「スクリーニング戦略」

第二のポイントは、ビジョンをフィルターにしての「スクリーニング戦略」です。14年、当時30歳の山根氏は、マザーズ市場最年少(当時)で代表取締役社長に就任しました。しかし、そこからの道のりは険しく、まさにハードな事業承継が展開されることになります。

一般客も1つから買えるショールーム●通常、工務店や業者が紹介する商品の中からしか選べないが、ここでは個人でも1つから購入できる。

山根氏が入社してみると、ワンマン経営者だった父親がすべてを取り仕切ってきたために、現場の人材はまるで育っておらず、挨拶や時間厳守といった基本すらできていない状況だったといいます。おまけに、役員たちは個人的な感情のもつれから組織間で内輪揉めを起こしており、全社的な経営体制がまったく築けていなかったそうです。

「社内の膿を出し切らなくては」

翌15年、社員総会の場で山根氏は全役員、従業員を前に次のように宣言します。

「うちは弱小校だが、これからは甲子園を目指すつもりだ。行く気がない人は今すぐ船を降りてほしい」

その第一歩として、社員個人には「TOEIC650点」「簿記3級」などの資格をとらなければ総合職に就かせない、というハードルを設けます。グローバルで勝ち残る建材のSPAとなるために必要な「資質」と「覚悟」を問う、厳しい基準を示したのです。言いかえれば全社にビジョンを示し、古い体質を一新するぞ、と決意表明したことになります。社員の間には当然、困惑と動揺が広がりました。およそ4割が辞め、後を追うように会社を去る人が次々に現れたといいます。最終的に残った古参の社員はわずか10名ほどとなったそうです。