中期計画「7・5・3」を掲げた
2006年からの「改革」を図表1にまとめた。これをもとに説明していきたい。
「就任当初に掲げた『凡事徹底』では、『校歌を大きな声で歌える』『校章をつける』など5項目を全員で実践しました。私自身の反省もあります。いつの間にか、生徒に校歌を歌わせながら、自分は腕組みをして聴いていた。『隗(かい)より始めよ』の気持ちでした」(中原氏)
「特進STコース」を設置し、予備校講師を招いてのプレミアム授業や有力塾長の講演会など、外部の知見を導入することも行った。2008年度には中期目標「7・5・3」(進学率70%、大学進学率50%、国公立大合格者数30人)を定めたが、2007年の数字は左から順に「66%、46%、7人」。特に国公立大合格者は「現実離れした目標」と関係者は感じたという。
「夢」だけではない。県北臨海地域の生徒数予測など、近い将来の「現実」を見据えた調査も行った。少子高齢化=高校進学者数の激減が、ほかよりも急速に進む地域だからだ。
初の医学部合格者が出た
2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島原発の事故は、同校にも影響を与えた。校舎の一部が破損し、学校は一時休校。入学者も減ったが、明るい話題もあった。
国公立大学に36人が合格したのだ。前年(2010年)の14人から大躍進となった。筑波大や横浜国大にも合格し、初の医学部合格者(福島県立医科大)も出た。
長年の名門校なら、珍しくない話かもしれない。実は前回の「スポーツ編」記事を公開したところ、一部から「文武両道ではなく文武別道だろう」や「国公立大の中身はたいしたことない」という指摘があった。そうした声も、今回の取材で投げかけてみた。
「2007年に廃止した『体育コース』の時代は、文武別道もありましたが、今は違います。スポーツ特待生も一般生徒と同じ教室で机を並べ、大学に進学していきます」(関係者)