現在、入手困難な日本酒のひとつといわれる新政酒造の「No.6(ナンバーシックス)」。前編ではジャーナリストだった佐藤祐輔社長が地元秋田に帰り、1億5000万円の赤字経営から積極投資して業績回復するに至った「第二創業」ストーリーを紹介した。後編では人気ブランドがどのように生まれ、またその先に見据える佐藤さんの壮大な将来ビジョンに迫る。
▼KEYWORD 第二創業
佐藤さんは2007年、32歳で実家の新政酒造に専務として戻ります。このとき佐藤さんにはすでに造りたい酒のイメージはあり、そこから人生を懸けて赤字だった経営の立て直しに奮闘します。
まず取り組んだのが2億円規模の大型投資でした。余剰金を担保に、一部銀行からも資金を借り入れ、純米酒などの高級酒を造るために必要な新型のタンクを導入。さらに新しい杜氏(とうじ)も正社員として採用します。
一方で佐藤さんは、新政酒造に戻る前に、後に代名詞となる「No.6」の名前の由来となった「6号酵母」と出合っていました。日本酒造りには、糖を発酵させてアルコールを作るための「酵母」が欠かせません。酵母は自然界には無数の種類が存在しますが、そのなかから日本酒を造るのに適したものを採取して、純粋培養したものを財団法人「日本醸造協会」が製造・販売しています。
現在、日本で販売される十数種類の酵母のなかで最も古いものが「6号酵母」。これが採取されたのは1930年。そして、これはなんと、佐藤さんの曾祖父、五代目佐藤卯兵衛が造っていた新政のもろみから生まれたものだったのです。