かつて国内有数の繊維の産地だった北陸地方。しかし安価な海外製品との競争で苦しみ、関連会社の9割が休廃業に追い込まれたといわれる。
その貴重な生き残りの一社が天池合繊だ。ただ、同社もかつて廃業一歩手前まで追い込まれたことがある。
しかし、超極薄の生地「天女の羽衣」の開発によって息を吹き返し、今では、複数の海外ラグジュアリー服飾ブランドの大切なパートナーとなっている。
廃業の危機を乗り越える要因となった発想の転換とは?
最先端技術を開発、初めての“営業”
「昔の石川県は繊維産地でしたが、今はもう産地とは言えません」
と、天池源受社長は言います。昭和50年代は、自ら営業をしなくても、商社を通じて合繊メーカーの下請け仕事がどんどん入ってきました。
機械を回せば回すだけ儲かる時代。天池社長が創業者の父・誠一に請われて入社した1981(昭和56)年頃が、石川県の繊維関連会社の数のピークでした。
「一反8000円前後で受注していたと聞いています。今よりも高い工賃ですよ(笑)」(天池氏、以下同)
しかし、川上の合繊メーカーは、はるかに安い工賃で中国に注文を出すようになります。同業他社が消えていくなかで、持ちこたえていたのは、革新織機や新工場への設備投資を行う余裕があった会社でした。