共通するコードを前提としないコミュニケーション

企業が市場の消費者のニーズを調べ、何か価値を提案する。消費者はそれを受け入れ、そして商品としてヒットする。消費者の気持ちがメーカーに伝わり、それにメーカーが応え、それにまた消費者が応える。そこでは、企業と消費者の間では、ちょっとした思い違いはあってもすぐに修正され、だいたいは正確に互いの意思が伝わり合っている。

これは、企業と消費者との関係の1つのモデルだ。そしてこのモデルは常識にもかなっていて、別段とりたてて違和感もないはずだ。だが、企業と消費者との関係は、そのようなすっきりとした合理的な関係でもって捉えて、本当によいのだろうか。ここでは、それとは異なるもう1つのモデルを提案してみたい。

何かと何かが出会って、1つの価値が生まれる。それとともに互いの姿が変わる。両者にとって未知の姿が現れる。こうしたプロセスは、コミュニケーション・プロセスとして把握することでその性格を理解できる。ただ、留意したいのは、ここで言うコミュニケーションとは、話し手と受け手との間に共通するコードがないままに行われる、そうしたコミュニケーションを指していることである。「共通するコードを前提としないコミュニケーション」という考え方は、伝統的なコミュニケーション概念にはなかった考え方だし、常識にもあまりそぐわないかもしれない。普通は、「コミュニケーションとは、あらかじめ発信と解読のルールが定まっている」と理解されている。モールス信号や手旗信号はわかりやすい例だ。しかし、その種のコミュニケーションはごく限られた範囲でしか成立しない。奇妙に思えるかもしれないが、こんな事例だとわかりやすいだろう。

お父さん「雨が降ってきたようだね」
お母さん「行くの、やめましょうか?」
お父さん「……、そうしようか……」
お母さん「ええ」

テレビのドラマに出てきそうなシーンだが、解説すると次のようなシーンになる。お父さんとお母さんは、どこかへ出かける予定がある。そして、朝食をとっている。食卓で向かい合わせに座っている。お父さんは、ふと窓の外を見て雨が降ってきたのに気づく。そして、そのことをつぶやく。これが始まりだ。

お母さんはそれを聞いて、「お父さん、出かけるのがイヤなんだ」と思う。で、「行くの、やめましょうか」と言う。お父さんは、それを聞いてちょっと驚く。「そういうつもりで言ったわけではないのに」と。しかし、「お母さんは行きたくないのかも」と、逆にお母さんに配慮して、「じゃあ、そうしようか」と答える。お母さんは、「やはりお父さん、出かけたくなかったんだ」と思ってうなずく。

こんな風景である。私たちの日常の生活においてもこのようなコミュニケーションの行き違い、そして行き違っても1つの秩序が生成する、こうしたことは多々経験していることと思う。だが、あらためて考えると不思議なことが起こっている。