斜陽といわれる産業に入ることは怖くなかったのか

しかし、当時の三星毛糸の経営状況は、全盛期からは大きく後退していました。同社は1887年の創業から130年の歴史を持ち、ピーク時には従業員が1000人いたそうです。しかし、バブル崩壊を期に繊維産業全体は大きく衰退し、同社も00年以降は撤退と集約の歴史になります。現在の同社グループの社員のうち、繊維関連の従業員は70人ほど。その規模は10分の1以下になっています。東京での華々しいキャリアを捨て、斜陽といわれる産業に入ることは、怖くはなかったのでしょうか。

「親父に『戻ってこい』と言われて従うのではなく、自分で決意することが大事だと思ったんです。繊維は素人ですから、会社の技術も優位性も、何もわからない。まずはもう入ってみないとわからないという“ドタ勘”でした。でも、周囲で同業他社が次々と倒れていく中で、会社を縮小しても残してきた親父のことを信頼していたし、この時代に生き残っているのだから、この会社にはおそらく輝く何かがあるはず、と思っていました」と岩田さんは言います。

実際、そのドタ勘通りでした。三星毛糸には高い経営資源があったのです。その1つが、最高の布を織ることができる織り機械と、それを操る職人の高い技術力、そして、もう1つが、高い品質を支える濃尾平野の木曽川の豊かな水環境です。

大量の水が使用される生地の加工工場。濃尾平野を流れる木曽川などから引かれる地下水をくみ上げ、使用できる環境だからこそ、「尾州」で毛織物産業が発展した。

「世界のあらゆる繊維産地は水の豊かな地域にあります。“生地の聖地”ともいわれるイタリアのビエラも水が豊かだし、シルクの産地コモは、澄み切った美しい湖のほとりにあります。布というのは織って終わりではなく、揉んだり、洗ったりすることで、生地の風合いが引き立ちます。そして糸・布を染めるのには大量の水が必要です。いい水は、いい風合いを引き出せるのです」