中国人経営者は『孫子』の愛読者も多いが毛沢東に傾倒

これに対し、機動戦における実践論を展開したのが、中華人民共和国の建国者、毛沢東だ。日中戦争や国共内戦で遊撃戦により最小限の兵力で勝利を目指したように、毛も『孫子』を愛読した。だが、戦い方の実践論はマルクス・レーニンの革命思想や『水滸伝』『西遊記』などの古典文学から学んだ。

中国の経営者には『孫子』の愛読者が多いが、実践論についてはむしろ、毛沢東に傾倒する人物が目立つ。中国最大のネット通販会社アリババ・グループのジャック・マー会長は「農村から都市を包囲する」という毛沢東の人民戦争理論に学び、農村をインターネットで結ぶ作戦で成功した。世界有数の通信機器会社華為(Huawei)の創業者、任正非氏も地方での営業に注力して収益基盤を築いた後、欧米系が押さえていた大都市部の市場を奪っていった。その意味で、いかに戦うかという実践論の面では、同じ「中国の知恵」でも毛沢東思想のほうが実は学ぶところは多い。

翻って、日本での『孫子』ブームである。「戦わずして勝つ」の「戦わず」の非戦論だけが抽出され、できれば戦いは避けたいと思う人々の自己正当化の根拠とされているのではないかと感じることもある。もしそうだとすれば、毛沢東思想により、戦い方の実践知を磨いた中国人経営者たちを相手に、本当に「戦わずして勝つ」ことができるのか。懸念を抱かざるをえない。「賢く戦う」ことにこそ知的機動戦の本質はある。

▼孫子とクラウゼヴィッツの比較
出所:ハンデル著『米陸軍戦略大学校テキスト 孫子とクラウゼヴィッツ』(日本経済新聞出版社)
孫武(孫子)
・分析レベル:すべてのレベル(政治、戦略、作戦、戦術レベル)
・合理的決断と予測可能性について:信頼に足る情報に基づき合理的に見積もり計画を立てることは可能/予測ということは可能であり、慎重かつ周到に立てられた作戦は勝利への重要な鍵
・欺瞞について:戦争遂行上の基本
・戦争に勝利するための鍵としての情報について:信頼に足る情報を収集するための最大限努力
クラウゼヴィッツ
・分析レベル:主として下位の作戦レベル、戦術レベル(戦場における戦術レベル)
・合理的決断と予測可能性について:摩擦、不確実性、運などによる戦争の支配/合理的決断を実行すること、綿密な準備などはあくまでも努力目標であり、全面依存は不可/予測についてはほとんど不可能
・欺瞞について:非重要なもので逆効果
・戦争に勝利するための鍵としての情報について:軍事的天才を有する指揮官の直観力に依存
野中郁次郎
一橋大学名誉教授
 
(構成=勝見 明 撮影=永井 浩 写真=iStock.com)
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