人類の半分は女性である

「女」を特別視することが、そもそもセクハラなのである。

元総理が取材を受け入れたのは、偽物のおっぱいに惑わされたのか、私の質問がうまかったのか、その因果関係はわからない。それをいつか分かるためには、もっと、すさまじいタフなコミュニケーションが必要なのだろう。

特に週刊誌の記者なら、取材相手に「うんこにたかるハエ」などと人権侵害にもあたるような暴言を投げつけられたことがあるだろうが、福田氏の発言そのものが精神的苦痛だというのなら、そうした発言はどうなのか。

人類の半分は女性である。女性にとっては、乳房が豊かであれ、貧弱であれ、もともとついているものであり、男性の身長や肥満の度合いとかわらないはずである。程度にもよるが、人それぞれの特徴に言及してはいけないなどということはありえない。

このままコミュニケーションを極端に萎縮させるだけなら、日本の社会では、男女とも、全員、顔のない「ムジナ」同然になっていくだろう。

川村昌代(かわむら・まさよ)
ジャーナリスト
1966年生まれ。中部経済新聞、時評社「月刊時評」、ロイター通信、文藝春秋「週刊文春」、朝日新聞出版「アエラ」「週刊朝日」の記者を歴任。
(写真=時事通信フォト)
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