人に受けた恩を下の世代に流す

人柄のよさを意味する「愛嬌」「可愛げ」をもう少し深く考えてみましょうか。

写真=iStock.com/Pablo_K

この点において、わたしは「自分もあんな親切なおじさんになりたいな」と下の世代に思われるような人間であろうと心がけています。具体的に言うと、「人に受けた恩を下の世代に流す」人物でいたい。つまり、上の世代から受けた親切や厚意を、自分も下の世代にわたしたいということです。

一見これは、「情けは人の為ならず」と同じく、人にかけた情けは巡り巡って自分に返ってくる、という心がけに感じられるかもしれません。しかし、それはちょっと認識がちがいます。わたしはフリーランスの身だから後輩たちに助けられる局面がありますので、結果的にはそうなっていることもあるでしょう。ちがうのは、結果的にそうなっているだけで、恩を下の世代に流してもその見返りは考えないという点です。

見返りを考えてかけた恩というものは、受けた身からしたら少し複雑な気持ちになりますよね。ありがたいことはありがたいのだけど、どこか利用されているようでもあってなんだかいい気はしない。そんなことでは、「愛嬌」や「可愛げ」にはつながりにくいのです。となれば、やっぱり見返りは求めないほうがいい。

大切なのは、もっと大きなものの見方をすること。「人に受けた恩を下の世代に流す」ということは、大げさではなく世の中全体をよくすることにつながっていきます。機会に恵まれない若い才能や、若いがゆえに進まないものごとに手を貸す。それって、未来をよくする一種の社会貢献じゃないですか。自分への見返りを期待するよりも、そのような気持ちで恩をかけるほうがお互いの気持ちもいい。そして結果的に、下の立場の人間から尊敬されるかもしれないし、自分の運を高めることにもつながると思うのです。そんな先輩が困っていたら、後輩として助けてあげたくなるに決まっていますから。

「師匠」として学ばせてもらっている証し

さらに、この「人に受けた恩を下の世代に流す」という行為は、下の世代だけではなく、上の世代からも可愛がられることに関連していきます。恩をかけてくれた上の人は、かけた相手が自分と同じように下の世代を助けていたら「こいつはよくわかっているな」とちゃんと評価してくれるでしょう。その人自身が下の世代を助けてくれるような人物なのだから、当然のことです。それは、自分と同じように振る舞うその人をより可愛がり、引き立てたくなる気持ちにつながるはず。

つまり、「人に受けた恩を下の世代に流す」とは、上の世代の人への尊敬でもあるのです。いわば、「師匠」としてその人から学ばせてもらっている証しでもある。そうやって、上から下へと“時代”や“伝統”のようなものがつながっていくのではないでしょうか。

わたしは仕事柄、作品づくりのためにたくさんの人に話を聞きます。いわゆる取材というものです。医師や弁護士、警察官や自衛官といった専門的な職業を扱う作品の場合は、実際にその職業に就いている人の話を聞くのが一番。取材のために、「ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」と電話やメールをする際、「なんでも聞いてよ、鍋島さん!」と喜んで取材を受けてくれ、なおかつかなり際どい話までしてくれる人は、とてもありがたい存在です。特に、あらたまった取材ではなく、ちょっと疑問に思ったことをサッと確認したいというときは本当に助かる。それにはビジネスライクな関係ではなく、お互いに人として好きかどうかという関係がものをいう。つまり、「愛嬌」「可愛げ」が大事な場面で効いてくるというわけです。

「人に受けた恩を下の世代に流す」という行為は、そういった素晴らしい人間関係をも築いてくれるのです。