中国外交部・朝鮮半島問題特別代表 武大偉(ウー・ターウェイ)
1946年、中国黒龍江省生まれ。73年、駐日中国大使館勤務。中国外交部アジア局副局長、駐日中国大使館参事、公使などを経て、2001年、駐日中国大使に。10年2月より朝鮮半島問題特別代表に。
「中国で最も無能、傲慢」「北朝鮮について何も知らない紅衛兵出身のマルキシスト……」
かの内部告発サイト「ウィキリークス」によると、北朝鮮の核問題を話し合う6カ国協議の韓国代表・千英宇外交通商省第2次官(当時)は、武大偉氏についてこう酷評した。いわく、英語を話せずコミュニケーションがとりづらい、強硬派ナショナリストで中国は世界の大国だと言ってはばからない。2010年2月に外務次官を引退した後も、武氏が朝鮮半島問題特別代表として6カ国協議議長に留任したのは、北朝鮮側の望みであり「最悪」とも。
その言葉どおり、武氏が任に就いて以来、北朝鮮は韓国哨戒艦天安号撃沈や延坪島砲撃とやりたい放題が続く。
04年に駐日中国大使の任を終えて帰国、05年夏の第4回6カ国協議から、7つ若い王毅外務次官(当時)の後任として議長を引き継ぎ、王次官が入れ替わりに駐日大使となった。後に党中央委員(閣僚級)に出世したスター性のある王氏と常に比較され、その凡庸さが際立ったことは否めない。09年4月、北朝鮮の6カ国協議離脱を許し、これを「日本のせい」と韓国代表に口走った。10年11月28日にはろくに根回しをしないまま6カ国協議再開提案をして各国に一蹴された。こういった一連の言動も無能呼ばわりされるゆえんだろう。
文化大革命時代に今の名の大偉に改名し武闘派紅衛兵で鳴らした。日本語は堪能で、日本メディア幹部は「接待ゴルフに嬉々として参加した」と言う。
おそらく武氏の傲慢さや武闘派の過去も、北朝鮮の暴走を抑えるために発揮されるのなら肯定されただろう。武氏が酷評を返上し6カ国協議のキーマンとなるとすれば、中国に制裁の決断が下せたときである。