AFLO=写真

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三菱自動車代表取締役社長 益子修(ますこ・おさむ)
1949年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、三菱商事に入社。2004年に三菱自動車の常務取締役として転出し、経営再建に参画。05年、社長に就任。


 

常に“戦場”を渡り歩いてきた。三菱商事入社直後から所属は自動車事業部。1975年、現代自動車立ち上げのサポートで韓国に赴任。技術供与を求める現代と三菱自動車との間で調整役を担った。結果的に、現代との提携で三菱自はトラック輸出で莫大な収益を上げ、同社上場の原動力となる。

97年、インドネシアで三菱車を販売する現地法人KTBのトップに就任。直後にアジア通貨危機が襲い、KTBは100年分の在庫を抱える。通貨安を逆利用して、世界に販売するなどして凌ぎ、2003年、帰国して三菱商事自動車事業本部長に。直後に事業本部の収益基盤であった三菱自が、北米セクハラ事件や2度のリコール隠しなどで窮地に立たされる。三菱グループの支援が必要となり、常務をへて同社社長に就任した。

経営再建策として、新興国市場にターゲットを絞り、ロシア、ウクライナでは自社の車を売りまくった。ところが、リーマン・ショックが襲い、売り上げが6割ダウンと大きく落ち込む。

しかし、10年7月には、社長就任直後に開発を指示した量産型電気自動車「アイ・ミーブ」を世界で初めて発売し、“次の手”を繰り出す。12月には日産自動車と提携し、軽自動車を共同開発すると発表した。開発コストを抑えて自動車の小型化や環境問題などの時代の要請に応えるためだという。

三菱自は、すでにフランスのプジョー・シトロエングループ(PSA)とも提携している。そこに今回の発表で、日産・ルノーグループに乗り換えかと囁かれたが、日産との間では電気自動車などでの提携は含まれていない。単独での生き残りは難しい三菱自。業界では「やはり本命はPSA」といわれている。いつも「戦場」にいる益子氏に、平穏はまだ訪れそうにない。

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