変革者か、対外強硬論者か。嵐を呼ぶサウジの新皇太子

この背景には、スンニー派の盟主ともいえるサウジの急激な変化も挙げられます。サウジ政府は2017年6月21日、ムハンマド・ビン・ナーイフ・ビン・アブドゥルアズィーズ(以下「MBN」)皇太子兼副首相を解任し、後任にムハンマド・ビン・サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ(以下「MBS」)を国防大臣兼務のまま昇格させると発表しました。MBSは現サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ国王(以下「サルマーン国王」)の息子(現在32歳)で、サルマーンが国王に即位した時(15年1月23日)から次世代の王子として、注目を浴びていました。

MBSは国防大臣就任日前日の15年1月22日、隣国イエメンでシーア派の流れをくむ反体制派のフーシ派がイエメン全土を掌握する事態に対抗し、フーシ派の拠点への空爆を決定・実施させました。また、16年1月2日、サウジが国内のシーア派指導者ニムル師を処刑したのに反発したイラン市民による駐イラン・サウジ大使館襲撃事件に関し、翌日(1月3日)、イランと国交断絶を決定したのもMBSと言われています。

さらに、MBSは17年6月5日、湾岸協力会議(GCC)加盟国で、イラン寄りの路線を歩んでいるカタールに対し、サウジ、アラブ首長国連邦(UAE)、イエメン、エジプト、モルディブ、バハレーンの6カ国が同国との国交を断絶すると発表(その後、コモロ、モーリタニア、セネガルも国交断絶を発表)しましたが、これを主導したのもMBSと言われています。このように、MBSはシーア派の盟主であるイランに対し、強硬な姿勢で臨む方針を明確にしていることが分かります。

一方でMBSは変革者としての側面も持っています。MBSは16年4月25日、サウジの今後の社会改革をまとめた「ビジョン2030」を発表しました。この「ビジョン2030」は石油に依存した国家のあり方を変えるというもので、補助金を削減して国民全体に広く負担を求め、国営石油会社アラムコ社の株式の一部を株式市場に上場し売却して得た資金を基に2兆ドル規模の投資ファンドを設け、その資金で民間部門を育成し、経済の門戸開放を進めて石油外収入を3倍強にして、財政収支均衡を図るという計画です。

また、石油だけに依存しない経済財政運営の実現を目指し、女性の雇用拡大、観光業、エンターテイメント産業の振興等、極めて大胆に社会変革にも踏み込んでいる点で、サウジ社会全体に与えた影響は甚大でした。当然、これに対しては王族の中から大きな不満等が噴出したとも言われています。

いずれにしても、MBSは皇太子兼副首相として、実質的にサウジを国家運営する立場になりましたが、社会改革は簡単ではありません。なぜなら、サウジはイスラム教の聖都であるメッカ、メジナを有する国で、政教一致の体制となっているからです。例えば、国王の称号には、「二聖モスクの守護者(Custodian of the Two Holy Mosques)」が付記され、国王は政治ならびに宗教においても、最高権力者となっています。

一方で、サウジ国王は国教であるイスラム教ワッハーブ派(スンニー派に近い宗派)の宗教界からの理解を得ることが求められています。現在のサルマーン国王は、宗教界への抑えを利かせている状態とされていますが、MBSが主導する社会改革を宗教界が受け入れるかどうかは、全く未知数です。

そのため、MBSはイランおよびシーア派との緊張関係を作り上げることにより、宗教界の関心を外に向け、一般国民の関心の高い腐敗問題への対応を推進することで、一般国民からの支持を拡大するという方策で、社会改革を推進しようとする思惑がうかがえます。