12月21日、スペインのカタルーニャ自治州の州議会選挙が行われ、独立支持派が過半数を獲得しました。10月の住民投票に続き独立支持派が勝利したことで、先行きは一層不透明になっています。デロイトトーマツ企業リスク研究所の茂木寿主席研究員は「独立運動がほかの国にも『飛び火』するリスクがある」と警告します――。
カタルーニャ自治州の州都バルセロナは世界有数の観光都市でもある(写真はアントニ・ガウディ設計のカサ・バトリョ、右から2件目)

スペインの中でも頭抜けた存在

2017年10月1日、スペインのカタルーニャ自治州で独立の是非を問う住民投票が行われ、賛成が92%に達したことから、カタルーニャ自治州議会は同月27日、独立を宣言するに至りました。これに対し、スペイン中央政府は同自治州の自治権停止、州議会の解散、州首相の罷免などの強硬措置を講じ、12月21日には州議会選挙を実施しましたが、またも、独立支持派が過半数を獲得。ただ、独立支持派内部でも路線の違いが大きいうえ、EU(欧州連合)各国も自国内の民族問題等もあることから、スペイン中央政府寄りの姿勢に終始しており、先行きは一層不透明感を増しています。

カタルーニャ州はスペイン全土17州の中で、頭抜けた存在となっています。面積はスペイン全体の6.3%程度ですが、人口は16.0%、経済規模では20.1%を占めています。州都はかのバルセロナ。なお、2016年の2236億ユーロという経済規模は、EU加盟国であるフィンランド、ポルトガルを上回るものであり、スパイン国内でも目立った存在となっていることが分かります(数値はいずれも2017年6月のIDESCAT:カタルーニャ地方の統計を開示しているHPより)。

話す言葉も違います。カタルーニャ州固有の言語であるカタルーニャ語が、カスティーリャ語(スペイン語)、オクシタン語(アラン語)と共に同州内では公用語となっており、同州の住民の約半分がカタルーニャ語を話していると言われています。

地理的にフランスと国境を接し、インフラ整備状況もスペイン随一であることから、多くの日本企業も進出しています。ちなみに、2016年10月現在、スペインへの進出企業数は365社ですが、そのうち、195社がバルセロナ周辺地域に進出しています。ちなみに、スペイン全体で在留邦人は8023人となっていますが、そのうち、3345人がバルセロナ周辺に居住しています(数値はいずれも外務省資料より)。

歴史的にもカタルーニャは独自性を有しています。15世紀にスペインが統一されるまでは、カタルーニャにはカタルーニャ君主国という王国があり、独自の憲法の下で、繁栄しました。スペインが統一された以降も、カタルーニャはスペインで中心的な存在で、かつ、高い自治権を有していました。しかしながら、1936年に勃発したスペイン内戦において、左派の共和国政府の中心地となったことから、内戦後のフランコ政権はカタルーニャに対し、自治憲章、カタルーニャ語の使用禁止等、弾圧を強めることとなりました。

1975年にフランコが死去すると情勢が変わり、1979年にはカタルーニャ自治州が正式に発足しました。また、1980年代後半からは世界各国から同州に多くの企業が進出し、1992年にはバルセロナオリンピックが開催されるなど、名実ともにスペイン経済のけん引役となりました。

それに伴い、自治権拡大を求める動きが加速し、2006年にはカタルーニャ自治憲章が制定されましたが、2010年にはスペイン憲法裁判所から違憲判決を受けました。

また、カタルーニャ自治州は財政力が強いにもかかわらず、同州への税収の再配分比率が低いことも相まって、ナショナリズムが台頭することとなりました。このような中で、2017年6月9日に、プチダモン州首相が10月1日に独立の是非を問う住民投票を行うと発表し、実施されたのが10月の住民投票で、続いてスペイン中央政府が主導して、12月には州議会選挙が実施されました。

独立派の再勝利で先行きが一層不透明に

自治州議会が独立宣言をしたのに対し、スペイン中央政府は同日(10月27日)、憲法155条に基づき自治権を停止し、プチデモン州首相を罷免し、州議会を解散すると発表しました。また、スペイン中央政府はプチデモン州首相、フルカデイ州議会議長等、計20人を国家反逆罪、扇動罪、公金不正使用罪で起訴し、スペイン全国管区裁判所は逃亡と証拠隠滅の恐れがあるとして州政府の閣僚8人を拘束しました。

同裁判所は11月2日までにプチダモン州首相に出頭を命じましたが、ベルギー滞在中の同州首相は出頭しなかったため、欧州逮捕状が発布されました。ちなみに、約半数の閣僚とベルギーに逃れていた同首相は11月5日にベルギー当局に出頭しましたが、その後保釈されています。