それは東京都心のホテルで白昼堂々実行された。1973年、当時韓国の野党指導者だった金大中が日本で拉致され、5日後にソウルの自宅付近で解放されるという事件が起きた。指紋などから韓国の情報機関(KCIA)の関与が疑われたが、日韓の「政治決着」で真相は闇に葬られた。なぜ日本は、重大な主権侵害に対して、最後まで弱腰だったのか――。
1973年8月14日、拉致から解放された翌日にソウル市内の自宅で警察の事情聴取を受ける金大中(写真=YONHAP NEWS/アフロ)

突然背後から襲われて

東京都心のホテルで、それは白昼堂々実行されました。1973年8月8日、当時韓国の野党指導者だった金大中(キム・デジュン)は、千代田区飯田橋にあるホテルグランドパレスで、複数の男たちに拉致されたのです。

金大中は、病気療養のため日本に滞在していた韓国の野党指導者、梁一東(ヤン・イルトン)と、同ホテルの2212号室で会食していました。会食を終えた金大中が部屋を出て、廊下を歩いていると、突然2210号室から出てきた男たちに背後から襲われ、部屋の中に引きずり込まれました。そして、麻酔薬のクロロホルムを嗅がされ、意識を失います。ほんの一瞬の出来事でした。

金大中はホテルから担ぎ出され、車で神戸のアジトまで運ばれました。翌9日朝、大阪港から偽装貨物船「龍金号」に乗せられます。船中で金大中は両足に錘(おもり)を付けられます。本人の証言によると、海に投げ込まれる寸前のところで、謎のヘリまたは飛行機が照明弾を投下して警告したために助かったとのことです。金大中は拉致から5日後に、ソウルの自宅付近で解放されました。

いったい誰がこんなことをしたのでしょうか。

33年後に国家機関の関与を認めた韓国政府

ホテルグランドパレスの犯行現場から、韓国駐日大使館の金東雲(キム・ドンウン、本名は金炳賛)一等書記官の指紋が発見されるなど、この事件は発覚当初から韓国の国家機関の関与が疑われていました。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2006年、韓国国家情報院の真相調査委員会が発表した報告書(*1)によると、事件は韓国情報機関の中央情報部(KCIA)部長であった李厚洛(イ・フラク)が、直接指示を下した国家的犯罪であり、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領自身の指示についても、「直接指示の可能性を排することができず、少なくとも暗黙のうえでの承認はあったと判断される」ものでした。