核・ミサイル開発を続ける北朝鮮。国際社会は制裁強化に動いているが、隣国・韓国は様子が異なる。9月21日には北朝鮮に対し800万ドル相当の「人道支援」を行うと発表。過去の経済支援が核・ミサイル開発に流用されているにもかかわらず、なぜ韓国はまたカネを渡すのか。その背景を読み解くには、韓国政治の歴史を知る必要がある――。
1960年4月18日、李承晩大統領の退陣を求めて大規模なデモを行う韓国の学生たち(写真=AP/アフロ)

だまされても続く「太陽政策」

北朝鮮が6度目の核実験を行い、国連安全保障理事会が全会一致で制裁決議を採択してから10日後の2017年9月21日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権は北朝鮮に800万米ドル相当の「人道支援」を行う決定を下しました。折しもニューヨークでは、日米韓3カ国の首脳会談が開かれており、ドナルド・トランプ米大統領と安倍晋三首相は、「今それをする時期か」と、慎重な対応を要請したと報じられています。

文政権の決定は、典型的な「太陽政策」といえます。イソップ寓話(ぐうわ)の『北風と太陽』から名を取った「太陽政策」とは、北朝鮮に対し、北風(圧力)ではなく、太陽(支援)によって臨もうとする韓国の政策です。最初に、「太陽政策」を打ち出したのは金大中(キム・デジュン)大統領(在任1998年~2003年)で、その後は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(在任2003年~2008年)に引き継がれました。

金大中、盧武鉉の両大統領は「太陽政策」に基づき、和解と巨額の経済支援(裏金による秘密支援も含まれます)を進めました。しかしこの政策は、北朝鮮が核兵器を保有するに至るという最悪の結果を招き、韓国国内はもちろん、国外の識者からも批判を浴びました。いわば韓国は北朝鮮に「だまされた」わけですが、なぜだまされてもなお、北朝鮮に融和的な政策が復活してくるのか(しかも、国際社会が連帯して制裁強化に動いている最中にです)。それを理解する鍵は、やはり韓国の歴史の中にあります。

李承晩政権が倒れ、南北統一へと高揚する世論

1960年、李承晩(イ・スンマン)大統領の独裁と恐怖政治に耐えかねた国民は、ついに大統領の退陣を叫びはじめます。全国にデモや暴動が広がり、84歳になっていた李承晩はこれらを抑え切れず、とうとうハワイへ亡命しました(四月革命)。

民主主義的な新政権が発足し、国民の政治活動も活発になりました。さまざまな市民団体や労働組合がつくられ、集会や街頭デモが連日繰り広げられました。学生運動も活発化します。韓国の学生たちは若者特有の理想に燃えていました。「自分たちの手で民族の統一を実現する」「同じ民族同士なのだから、話せば理解し合える」――多くの学生がこのように考え、北朝鮮と韓国の統一を目指したのです。