「指導死」という言葉がある。教師のいきすぎた指導が生徒を死に追いやることだ。今年3月に福井県で中学2年生の男子生徒が自死した事件で、このほど有識者による調査報告書がまとまった。担任と副担任は一方的に生徒を叱責するだけで、励まし役がいなかったという。「指導死」を防ぐにはどうすればいいのか。ジャーナリストの沙鴎一歩氏が問う――。
朝日新聞の社説(10月29日付)。見出しは「指導死 教室を地獄にしない」。

「いじめ」と並ぶ現代社会の重い病

「指導死」という言葉をご存じだろうか。教師の叱責で子供が自殺に追い込まれることをそう呼ぶそうだ。10月29日付の朝日新聞の第1社説のタイトルにもなっている。なんとも嫌な言葉である。本来、教師の指導によって児童や生徒は大きく育ち、未来に向かって羽ばたく。それが真逆の死につながるのだから信じられない。

どうしてこんな悲劇が生まれるのだろうか。かつて教師は「3歩下がって師の影を踏まない」と尊敬される存在だった。教師の資質が落ちたのか。それとも子供たちが変化したのか。いずれにしても「いじめ」と並ぶ現代社会の重い病であることには間違いない。

朝日の見出しは「教室を地獄にしない」

朝日社説は「子どもたちの可能性を伸ばすべき学校が、逆に未来を奪う。そんな過ちを、これ以上くり返してはならない」と書き出し、「教師のいきすぎた指導が生徒を死に追いやる。遺族たちはそれを『指導死』と呼ぶ」とつなげていく。

見出しは「教室を地獄にしない」である。まるでホラー映画のような強烈さだが、その実態は映画よりも恐ろしい。朝日社説は調査報告書をもとに、教室が地獄と化した実態をこうつづっている。

「福井県の中学校で今年3月、2年生の男子生徒が自死した。宿題の提出や生徒会活動の準備の遅れを、何度も強く叱られた末のことだった」
「周囲が身震いするほど大声でどなる。副会長としてがんばっていた生徒会活動を『辞めてもいいよ』と突き放す。担任と副担任の双方が叱責一辺倒で、励まし役がいなかった。生徒は逃げ場を失った。どれだけ自尊心を踏みにじられ、無力感にさいなまれただろう」

沙鴎一歩にも似たような経験がある。福井の中学生と同じ中学2年のときだった。担任の教師から叱責を度々受け、その教師と対立した。当時のことを思い出すと、福井の中学生が逃げ場を失った苦しみはどれほどのものだったかと思う。

いじめと同じ構造だが、加害者が「教師」

このあと朝日社説は「こうしたゆがみは、この学校特有の問題ではない」と大きく展開していく。そのうえで「『指導死』親の会などによると、この約30年間で、報道で確認できるだけで未遂9件を含めて約70件の指導死があり、いくつかの共通点があるという」と指摘する。

「本人に事実を確かめたり、言い分を聞いたりする手続きを踏まない。長い時間拘束する。複数で取り囲んで問い詰める。冤罪を生む取調室さながらだ。大半は、身体ではなく言葉による心への暴力だ。それは、教師ならだれでも加害者になりうることを物語る」

「冤罪を生む取調室」「言葉による心への暴力」……。これはいじめの構造と同じである。違うのは「教師が加害者」という点だろう。