若い教師や学生に対する教育が必要だ
どうすれば「指導死」を無くせるのか。朝日社説は「文部科学省や各教育委員会は教員研修などを通じて、他の学校や地域にも事例を周知し、教訓の共有を図るべきだ」と訴えている。
しかし問題の根底は教師の質にあるのではないか。まずは指導死を招いた教師に教育の場から離れてもらうことだ。辞めてもらうしかない。
そして若い教師やこれから教師になろうとする学生に、指導死が生まれる背景をしっかり伝えることだ。起きてしまった事実から目を背けてはいけない。朝日社説がいうように「教師ならだれでも加害者になりうる」のだ。
ただし今回の朝日社説には「問題の教師を外す」という主張はみられなかった。子供を守るためには、現場から離れてもらうしかないはずだ。その点はとても残念である。
毎日の社説は「一般論」で情けない
他紙でも「指導死」は社説のテーマになっている。たとえば10月25日付の毎日新聞の社説は次のように書き始める。
「福井県池田町で、自殺した中学2年の男子生徒に関する調査報告書が公表された。『担任と副担任の厳しい叱責にさらされ続け孤立感、絶望感を深めた』。弁護士らの調査委員会は自殺の原因をこう結論付けた」
朝日社説と同じく、この中学校での指導死の実態を書いた後、毎日社説はこう主張する。
「担任と副担任の双方から厳しく叱責されれば、生徒は逃げ場がない。いじめ同然であり、責任は重大だ」
「問題はこれだけではない。校長や教頭は2人の叱責を目撃するなどして知っていたのに改善に動かなかった。管理職として詳しく調査し、対処する必要があった」
正論ではあるが、朝日社説と同じところが欠けている。どうして問題の教師を教育現場から外すべきだ、と主張しないのか。若い教師や教師を目指す学生に対する確かな教育の必要性も訴えていない。
最後のまとめも情けない。新聞社説によくある一般論で終わっている。
「教師が生徒と信頼関係を築き、学校は組織的に問題解決に取り組むのは当然のことだ。一方で生徒指導に明確な基準はなく、過剰な叱責でも教師は正当化しがちだと一般的に指摘されている。子供に精神的な負荷を与えない指導のあり方について議論を深めるべきだ」