複合的な問題を解くカギとは
そんな不安を払しょくさせてくれたのは、予想外の支援の輪の広がりだった。V7時代に残した遺産が大きかった。強いネットワークは全国のラグビー界に広がっていった。
「非難されない範囲で少しでも支援を獲得したいと思ったのはたしかです。なんとか“災い転じて福”にならないかと思っていました」
もちろん被災した当事者が支援をほしいということはなかなかできない。でも釜石SWにとってラッキーだったのは、釜石ラグビーの応援団が「釜石SW支援」に即座に立ちあがったことである。釜石で合宿を張ったことがある東大OBなどを軸とし、次々と草の根レベルの復興支援のグループが自発的に結成された。
支援を受ける釜石SWとして、大事にしたのは「決断のはやさ」だった。増田はそう、振り返る。
「支援物資を送ってもらったり、復興イベントをしてもらったり、相談を受けたら、はやくデシジョンすることを心掛けました。するか、しないか。寄付を振り込んでもらう銀行の口座をHPにアップしたり、会員の新規加入をどんどん募集したりしました」
前身の新日鉄釜石OBの協力も大きかった。これまでは、意図的に釜石SWとの距離が置かれていた。でも非常時である。往年の名選手の松尾雄治や石山次郎、高橋博行が中心となって、釜石SWを支援する「スクラム釜石」という組織が設立された。
石山によると、まずは釜石SWの個人会員(年会費2000円)の会員拡大をめざす。現在は2000人。目標が「1万人」である。
ラグビーの試合や復興イベントで入会を呼びかけ、「会員拡大」と「義援金集め」を猛烈に図っている。