幼稚園児の聡太「しょうぎのめいじんになりたいです」

彼は現在、最年少プロ(14歳7カ月)にすら手が届く位置にいる。しかし、裕子の心中は少し複雑だ。

「聡太が勝負師になっていくのが、さみしく感じるときがあります。以前は、対局の結果を私から聞いていたのですが、プロに近づくにつれ、聞きづらくなってしまいました。子供向けの大会で泣いていた頃であれば、かける言葉もありましたが、今はかける言葉が見つからないです」

今年の春から、聡太は中学に進学し、奨励会には一人で行く。

「2人分の新幹線代がかかるともったいないじゃん」

はにかみながらそう話す聡太の顔は、親と距離を取りたい年頃の少年のものだった。

三段になると東京にも行かねばならない。プロに近づくにつれて、親子の距離も少しずつ離れていく。

「応援するしかないですよね。彼には前しか見えてないですから」

聡太が幼稚園のときに書いた“しょうぎのめいじんになりたいです”という画用紙を見て、裕子はつぶやいた。

*幼稚園・小学校のときに書いた将来の夢。この頃から、将来は将棋の名人と決めていたようだ。当時の好きな食べ物は、刺身、味噌煮込みうどん、ラーメンだった。面白かった本は、『海賊と呼ばれた男』(百田尚樹)、『深夜特急』(沢木耕太郎)などをあげている。岡村智明=撮影
(撮影=岡村智明)
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