「6連敗したときは無言で新幹線で泣いていました」(母)
家での生活は、もっぱら将棋中心。宿題は学校ですべて終わらせていたので、親は最近まで学校で宿題が出ていることすら知らなかったそうだ。
聡太が将棋に初めて触れたのは、5歳の頃。祖母が入門用の「スタディ将棋」(くもん出版)を持ってきたのが始まりだった。いとこ全員の中で、聡太だけが興味を示したという。
「どんどん強くなっていって最初は戸惑いました。プロ制度の仕組みなんて何も知らなかったですし……」(裕子)
小学1年の終わり頃にはアマチュア初段、大学の将棋部で代表に入れるレベルの実力になっていたという。
「子供大会だけでなく、一般の大会にも出ていたので、年齢がいくつも上の子や大人と対局することになります。聡太は相手の年齢に関係なく、負けるのが悔しかったようで、泣いて対局場の椅子から動かなかったこともありました。負けず嫌いは昔から変わっていないですね。奨励会で6連敗をし降級となったときには、無言で新幹線で泣いていました」
▼師匠に勝とうと考え込みすぎて体調を崩した
師匠の杉本昌隆七段も、聡太の勝負への執着はずぬけているという。
「入門したての頃、私に勝とうと考え込みすぎて体調を崩したことがありましたよ」
実は今回の取材前に、取材を延期してほしい旨の連絡があった。
「聡太が“取材までに二段に上がりたい”と宣言して、取材を先送りにさせていただいたんです」
自信に満ちた発言をしたり、自らの功績を語ったりすることがない彼の、将棋への執念を感じた。