【田原】日本電産を2009年に辞めて、エルステッドインターナショナルという会社を立ち上げます。

【永守】父は日本電産を同族企業にしないというスタンス。私もその気はなくて、もともと修業するつもりで入れてもらった。どちらが言い出したわけでもなく、そろそろ免許皆伝だねということで独立しました。

【田原】普通と逆だ。創業者の多くは、子どもを外で修業させてから自社に入れる。それで、独立して何を?

【永守】私は“製造業LOVE”。製造業はヘッジファンドみたいに特殊な人たちの集まりではなく、博士を取るレベルの人からそうでない人まで、みんなが一緒に仕事ができる。そして世の中に大きなインパクトを与えられる。その意味で、とても尊い仕事。だから最初はメーカーをつくりたかった。ただ、メーカーを起業するにはお金や技術が必要で、いきなりは難しい。そこでまずはメーカーを応援する事業で起業しました。具体的には、小さなメーカーさんの海外進出を手助けする事業です。

【田原】その事業はいかがでした?

【永守】「メーカーズイン」というポータルサイトをつくって、上場企業1300社の経営者に「加入してほしい」と手書きのハガキを出しました。でも、返事をいただけたのは、名古屋でPC周辺機器をつくっているメルコホールディングスさん1社だけ。創業者の牧誠さんとはいまもおつきあいさせていただいていますが、ほかはなしのつぶてでした。

【田原】1社じゃビジネスにならない。

【永守】はい。失敗しました。外に出たい企業は20~30年前から出ていて、残っている企業は国内と決めている。じっくり需要を掘り起こしてやっていく余裕はなかったので、約1年後に事業を切り替えました。

【田原】そこからは何を?

【永守】電気関係の商社です。LEDなどの節電商材を海外に販売しています。この事業はいまも継続してやっています。

【田原】15年7月にMJIをおつくりになる。経緯を教えてください。

【永守】社長を務めるトニー・シュウとは以前から仕事でつきあいがありました。14年の年末にトニーと食事をしたとき、ロボットをやろうと声をかけられて、おもしろそうだなと。社会的使命といった大げさなものではなく、とりあえず楽しそうだからやりながら考えてみようという感じで一緒にやり始めました。

【田原】お金や技術者はどうしたのですか?

【永守】トニーも私も自分の会社がありますから、お金はある程度用意できました。生産は中国の工場に委託しています。つくるのに、ざっと2億円はかかりました。最初の資金だけでは足りなくなってきたので、いままた資金調達したところです。開発に関しては、優秀なエンジニアをどんどん雇っています。うちは日本語でしか求人を出していないのですが、なぜか外国人の応募が多く、台湾、香港をはじめ、アメリカ人、フランス人、そしてこんどインドネシア人が入ってきます。みんなすばらしい人たちですよ。現在、日本に15人。あと台北とソウルに人がいて、合わせて24~25人です。