田中氏は早速、Xの信頼度チェックに取りかかった。両者で協議して合意した事項をXが実行できるかどうか、を確かめたのだ。当時、日本経済新聞の元記者が北朝鮮にスパイ容疑で逮捕され、監禁されていた。この元記者の無条件解放をXに求めたところ、ほどなく実現。今度は北朝鮮の軍艦が韓国の船舶に対して銃撃を加えた事件に対して、韓国に謝罪するべき、と告げたところ、こちらもその通りになった。どうやら信頼できそうな相手だと判明。
一方で、相手にも田中氏自身が信頼に足る人物であることを知らしめる必要があった。田中氏は、大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫と面会したことがあり、北朝鮮問題に15年間取り組んできたことなど、外交官としての経歴を洗いざらいしゃべった。そして最後にこう付け加えた。「日本の新聞で『総理の1日』という欄を見てください。あなたと会う前後には必ず小泉総理に会っているから、必ず私の名前がありますよ」。
話すだけではない。徹底的に相手の言い分も聞いた。水を向けると相手は堰を切ったようにしゃべり始めた。日本は戦前われわれの先祖を強制連行し働かせた。そういう国が謝罪もせず、われわれを敵視する政策を取り続けている限り、われわれは日本を許すことはできない、と。
「北朝鮮にしてみれば日本はかつての宗主国ですから、憎しみや屈辱感があって当然です。それを最初に聞いてあげることが人間としての思いやりだと考えたのです。結果的に、それが私の用意した大きな絵、つまり交渉の土俵に相手を乗せることにもなりました」
Xもどうやら田中氏に信頼感を抱き始め、交渉に前向きになっていった。
交渉は1年で計20数回を数え、数百時間に及んだ。あちらが無理な要求をしてきたときなど、あえて怒った様子を見せ、憤然と席を立ったこともあった。相手はこちらが折れればいくらでもつけ込んでくる。交渉の場で、「日本は日朝関係を改善する用意がある。それを進展させるには拉致問題の解決が不可欠だ」と田中氏は一貫して言い続けた。「向こうは喉から手が出るほど、お金が欲しいわけです。でも被害者を返してくれたら、お金を出すとは絶対に言いませんでした。そういう、その場を取り繕う話は絶対にやってはいけません。そもそも人の命はお金であがなえるものではないのです」。
結局、拉致被害者5人が帰国した。「訪朝は最終的に小泉さんの決断によるものでした。私との面会は交渉に行く前の金曜と帰国後の月曜と、計88回を数えました。小泉さんは責任をきっちり取れる政治家。われわれ官僚は最終的にはその責任を取ることができませんから」。
それから現在までに十数年が経過したが、拉致問題も国交正常化も進展していない。大きな絵を描き、粛々と交渉を進める田中氏のような戦略的外交官が現場にいないことも大きいのではないか。
・キーパーソンを見極める
・目の前の小さな手柄に惑わされない