黒糖焼酎の歴史は意外と浅い

大の酒好きだ。だから何でも飲むが、たいていはビールに日本酒、酎ハイやホッピーだ。黒糖焼酎を飲むことはめったにない。もちろんおいしいし好きだ。

表紙にひかれて本書を手に取った。「黒糖焼酎をつくる全25蔵の話」とあり、オビには「なんて面白いんだ。奄美の島々と黒糖焼酎」という惹句。筆者は沖縄には数回行ったことがあるが、奄美はない。旅心、呑べえ心がくすぐられる。

『あまみの甘み あまみの香り』鯨本 あつこ(著)、 石原 みどり(著) 西日本出版社

著者は、日本国内の418離島にスポットをあてた「離島経済新聞社」の統括編集長(くじら、鯨本あつこ氏)と、同社島酒担当記者(くっかる、石原みどり氏)の酒飲みコンビ。そんな島のプロが黒糖焼酎蔵のある奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の5島を巡り、黒糖焼酎と島の魅力を紹介する。ほぼ全ページに描かれたイラストも南国らしいユルさが伝わってきていい感じだ。

黒糖焼酎は正式には「奄美黒糖焼酎」という。地域団体商標に登録されており、奄美群島でしか製造が認められていない。よって生産・消費量は少ない。本書によれば、国内の酒類消費量の内、焼酎の占める割合は約1割で、黒糖焼酎はさらにその2%未満だ。

黒糖焼酎の歴史は意外に浅い。黒糖焼酎が本格的につくられるようになったのは戦後のこと。奄美群島は戦後8年間、米軍統治下に置かれたため、それまでつくっていた泡盛の原料である米が不足し、代わりに島のサトウキビを使うようになったのだという(現在は沖縄産や外国産の黒糖も使用)。黒糖焼酎の製造が奄美群島に限られているのはそんな歴史的背景がある。

奄美群島とひと言でいっても、島にはそれぞれ特有の文化がある。いまでこそ鹿児島県に属するが、歴史的には琉球王国の支配下にあった時代が長く、薩摩藩に組み込まれたのは江戸時代。奄美大島から南端の与論島へ下るにしたがって琉球文化色が濃くなっていくという。与論島からは沖縄本島が見える。