人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し
60年余り前、産経新聞の記者だった司馬遼太郎氏は、本名・福田定一の名で1冊の著作を世に問うた。それが、没後20年、文春新書で復刊された『ビジネスエリートの新論語』である。ただし、孔子の教えだけでなく、旧題の『名言随筆サラリーマン』が示す通りゲーテや夏目漱石など古今東西の名言を引用しつつ、会社で生きるサラリーマンたちに贈った人生講話だ。
例えばゲーテなら「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない」を選んだ。一方、漱石では「運命は、神が考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ」を挙げる。長年の宮仕えで自分を抑え続けた会社員には、もはや解説の必要さえないだろう。上司の機嫌をうかがい、部下の顔色を気にする。その間、決められたノルマに追いかけられる。嫌でもそれなりの悟りに達する。
この本でサラリーマンの原型をサムライに求めたという司馬が“サラリーマンの英雄”としているのは徳川家康である。そして、あの有名な「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし」との遺訓を示す。とにかく、三河の土豪の家に生まれ、少青年期を人質として過ごし、信長、秀吉の時代も隠忍自重の日々だった。
だが、サラリーマンにも人生の宝石のような出会いがある。本に登場する2人の老記者は、後の司馬遼太郎氏の骨格を形づくるうえでも、少なからぬ影響を与えたことは間違いない。いずれも花形記者ではないし、編集局長や論説主幹といった大新聞社の出世ポストとは無縁のサラリーマンといっていい。