4人は座った状態で、互いに抱きしめ合う。ラグビーのスクラムのように。諒太朗は泣きながら訴えた。
「死にたねぇ、じいちゃん、死にたねぇ、お父さん助けて……」
「大丈夫だ、諒太朗。じいちゃんが必ず助けてやる」。自分たちを心配して戻ってきた孫の諒太朗にもし万が一のことがあれば、鈴木は死んでも死にきれない。
だが、水は一気に勢いを増していく。信じられないスピードだ。1階部分はすぐに海水が押し寄せ、バリバリという破壊音が起こった。
鈴木が窓の外に目をやると、自分の愛車を含む車3台が流されていった。そして、2軒先の家がいとも簡単に流されていく。大型バスが定刻となり、バス停から動き始めるように。死が大きな口を開けて、4人を呑み込もうとしていた。
もう少しで呼ばれる。次の次は自分たちの番だ。こう思った鈴木は、最後は神に祈った。「どうか、孫だけは助けてやってください。孫はまだ9年しか生きていないんです」と。
鈴木は38年間、名取市役所に勤務した。退職後も町内会長をしたり、いまも市政と地域住民をつなぐパイプ役の区長を務めている。失敗もあったし、完璧ではなかったかもしれない。しかし、精一杯に生きてきた。だから、自分はもういい。十分だ。
しかし、小学3年生の諒太朗は、一編の言葉も、小さな作品も残してはいない。出会いや別れの経験もない。なのに、ここで命がなくなるのは、あまりに不憫すぎる。
果たして奇跡なのか、鈴木の祈りは天に通じる。隣家は、おそらく腕のいい大工が建てたのだろう、押し寄せる黒い壁の圧力にも、ビクともしない。お陰で、鈴木の家の“防波堤”となってくれた。そうしているうち、津波が近くにある小川か、広大な仙台空港の滑走路に流れ込んだせいなのか、その流れる方向が変わったのだ。
12日午前2時過ぎ。小さな灯りが、鈴木たちがいる2階に近づいてきた。長男が警察や消防が制止するのを振り切って、徒歩で瓦礫を乗り越えながらやってきたのだ。
「このときほど、ホッとしたことはありません。息子は命がけで来てくれたんです」と鈴木は話す。
1階の柱時計は4時3分で、いまも止まったままだ。4人は九死に一生を得たのだった。
(文中敬称略)
※すべて雑誌掲載当時