人事院人事官 江利川 毅(えりかわ・たけし)
1947年生まれ。東京大学法学部卒業後、旧厚生省入省。厚生省、内閣府等でキャリアを積み、2004年に内閣府事務次官。06年の退官後、民間企業を経て07年に厚生労働事務次官に異例の就任。鳩山政権下で人事院人事官に指名された。
旧厚生省出身の官僚としては、江利川毅氏は異色の経歴を辿ってきた。厚生省でのキャリアよりも総理官邸や内閣府での活躍が目立つ。厚生省最後の仕事は小泉純一郎厚相時代の介護保険の導入で、内閣府時代も事務次官として当時の小泉首相に仕えた。
内閣府時代、母校の講演で小泉首相を「ぶれない人」と紹介し、「自分の趣味である俳句と、オペラ好きの小泉首相と趣味の話で盛り上がることもある」とその信頼関係を語っている。
「役人として常に大事にしてきたのは責任と良心」が江利川氏の口癖だが、彼を知る周囲も「真面目で誠実」という声が圧倒的だ。
内閣府事務次官退官後、民間にいた江利川氏は、当時の舛添要一厚生労働大臣から事務次官に指名される。1人で2回の事務次官を務めるのは極めて異例だが、年金記録問題に揺れる厚労省を託す人材として内閣府時代の腕を買われた。
その江利川氏が、今回は与党となった民主党から人事院人事官に指名された。人事官は全部で3人いるが、官僚出身の人事官は人事院総裁になるため、実質的に人事院総裁のポストとなる。
江利川氏指名は、民主党の天下り禁止を自己否定するものだが、この背景には「公務員制度改革」がある。公務員の労働基本権を回復させる見返りに、人事院の機能を縮小させる狙いがあるからだ。当然官僚の抵抗が予想される。
組織防衛を図って真っ向から抵抗した谷公士前総裁と違って、江利川氏は小泉政権下の構造改革推進や厚労省の年金記録問題への対応など、政治家のニーズをきちんと反映できる仕事人といえる。先の両院議院運営委員会で「(人事院の存廃は)国会の意思に従いたい」と所信を述べている。公務員改革の成否はこの男が握っている。