500万超えの製品を今、復活させた理由

【弘兼】入社後もピアノは続けていたのでしょうか。

【小川】いえ、大学卒業後は仕事に没頭するあまり時々ライブハウスで弾く程度。ピアノに再び真剣に取り組むようになったのは93年からです。その年に新規プロジェクトが解散になったんです。

【弘兼】やはりバブルが崩壊した影響を受けたのでしょうか?

【小川】少なからずその影響はある。ただ、それよりも82年にCDプレーヤー1号機が発売され、音響システムのデジタル化が進んだことが大きい。音響機器の値段は格段に安くなった。またCDはレコードと比較して再現音域が狭い。そのため、テクニクスのような高級オーディオシステムは不用になってしまったのです。松下電器の全体方針としても、音に対する優先順位は低くなり、映像にシフトしていきました。自分が青春をかけてやってきたプロジェクトが解散したので落ち込みました。会社を辞めることも考えました。

【弘兼】(身を乗り出して)えっ?

【小川】31歳だったので、結婚して退職するのもありかなって。でも、ジャズドラマーをしていた当時の上司が「まあ、そう落ち込んでいないで一緒にジャズでもやろうや」と声をかけてくれた。そこから本格的にジャズピアノを再開し、仕事と音楽の二足のわらじで頑張ろうと心に決め、現在に至ります。

仕事をしながらジャズピアニストして活動を続け、現在までに自主制作含めて14枚のCDをリリース。2003年、米Arbors Recordsから発表したアルバムは英「Jazz Journal International」誌の評論家投票にて第1位を獲得。2006年、中山正治ジャズ大賞のアマチュア部門グランプリ獲得。同年ビクターエンタテインメントからメジャーデビュー。