上司たる指揮者に直言「自己満足を優先するのがマエストロか?」

完成させた音を今度は指揮者に渡す。「多くの合唱指揮者はある程度の音ができたところで、指揮者に“あなた好みの色に染めてください”と丸投げする場合が多いんですが、僕はそうしない。自分が指揮者となりすぐにコンサートを開けるくらいの状態まで、音を作り込むんです。そのやり方は私が最も尊敬するノルベルト・バラッチュに影響されて始めたんです」。

それまで多く接してきた外国人の指揮者は合唱にあまり思い入れがなく、練習もおざなりでGOを出してしまうケースが多く、三澤氏は残念に思っていた。そんなとき、バラッチュと知り合ったのだ。「彼は時には指揮者と喧嘩してまでも、自分が作り上げた合唱音楽を守り抜きます。僕が彼から学んだのは、合唱指揮者は合唱の下ごしらえをして指揮者に渡す仲介者ではないということ。合唱というサウンドを作り出す芸術家だということです」。

一方、そのバラッチュはある意味で反面教師ともいう。三澤氏は、指揮者が合唱を変えたいと伝えてきた場合、彼のようにはねつけるのではなく、意図をくみ取り、方向転換もいとわない。上司の言い分と自分のやりたいことをすり合わせ、部下である団員の力を存分に発揮させて観客を満足させる。そんな役どころなのだ。

ただ、指揮者が合唱の価値を台なしにする行動に出た場合は話が別だ。

本番のオペラのときには、三澤さんは観客席背面の音楽や照明の管理をする部屋から指揮。いわば黒子のような存在で合唱団をサポートしている。

三澤氏は新国立劇場の本番中によく客席後方のガラス張りの監督室から、ペンライトを合唱団に向けて振る。オーケストラ・ピット内の指揮者は低い位置にいるので、舞台奥のメンバーにはその動きがよく見えない。タイミングが狂ってしまうのである。そこで、監督室にあるモニターテレビとスピーカーを通して指揮者とオーケストラの動きをチェックし、合唱のスタートや終わりをペンライトで示すのだ。

これに難癖をつけてきた外国人指揮者がいた。イタリア人のリカルド・フリッツア。指揮者は自分であり、合唱指揮者がペンライトで指示するなんて、とんでもない、というわけだ。

これに対して、三澤氏は年下のフリッツアにこう説明した。「僕はあなたを支援する。しかし、合唱団員は演技しながら歌っているので、低いところにいるあなたが見えないのです」と。

それでも彼は納得しない。とうとうオーケストラ付きの舞台稽古が始まると、完全にオケとのタイミングがずれ、合唱がもたついてきた。ついに指揮者が折れた。ペンライトでの指示出しを許したのだ。合唱団はいきいきとした音を出せるようになった。

が、ここまでは第一幕。3年後、フリッツアが再び来日、新国立劇場で別の公演を指揮した。相変わらず、タイミングがずれる。なのに、三澤氏がペンライトを振ることを拒絶。三澤氏は切れた。「あなたはよりよい公演よりも自己満足を優先するのか。あなたという指揮者を見ようとしても見られない半分以上の合唱団員がどれだけ阻害された気持ちで歌いだせなくなっているのがわからないのか。合唱団の能力は3割も出ていない。あなたはそれに気づかない、その程度の音楽家なのか」

その剣幕に恐れをなしたか、フリッツアはその日は練習を放棄し、劇場を出て行ってしまった。

翌日のこと。昨日は言い過ぎた、ごめんなさい、と謝る三澤氏に「いや、昨日は何も起きなかった」と彼は言い、こう続けた。「これからのことを考えよう。おまえはどうしたいんだ?」。ペンライトのフォローを切り出すと、「俺の動きを見られない団員たちだけのフォローならば」という条件で認めてくれたのだ。三澤氏は大喜びし、公演も大成功。それ以来、フリッツアとは大親友になったという。