全世界で展開した「理論値生産」

2009年3月、上席執行役員・生産本部長に就任。リーマンショック直後で、業績が悪化し、またも再建役が回ってきた。2年前から生産システムを見直す仕事に就き、全世界の工場をみて回り、「理論値生産」の体系化を進めていた。

理論値とは、技術的に可能な限界値で、普通にやっていては、理論値の3割か4割しかできない。それを、生産効率の点で、理論値にまで近づこうというのが理論値生産。目標は、100点満点に置く。そのために開発するのは、生産技術や管理技術だけでなく、素材に関する技術も入る。ヒト・モノ・カネに材料も加え、定量的に分析した数値で示すから、わかりやすい。以前から社内にあった小活動を、グローバル生産のベースにまでしたかった。

目標が高すぎるとも思ったが、むしろ、そこが重要だ。溶接ゼロが実現できたのも、「やるなら完全に」を追求したからで、そうでなければ技術水準は上がらない。約2年で、理論値生産で30点くらいだった現場でも、60点にまでなった。そこから80点に上げるのは、そうとう難しい。それでも「2週間後に、また話そう」で煮詰め続け、いまや全世界の生産拠点で60点には達している。

成果は、大きい。例えば、生産本部長時代に新しい二輪車工場を考えたら、エンジンも含めた年産30万台規模の投資額は100億円になった。言い換えれば、100億円を投じれば、30万台規模の工場ができた。それが、場所を問わず、100億円で50万台の生産ができるようになり、インド南部の新工場もその1つだ。

経営の立て直しに、各種のリストラも進めたが、そこでも理論値生産が威力を発揮した。国内の生産拠点を再編成するとき、年産50万台規模の工場を、需要減で20万台しかつくらない時期でも採算に合うようにできた。投資効率が全く違い、コスト競争力があるから、投資額の回収は早くなる。

「心誠求之、雖不中不遠矣」(心誠に之を求むれば、中らずと雖も遠からず)――心の底から真剣に追求すれば、完全とは言えなくてもそこに近いところまではいくとの意味で、中国の四書の1つ『大学』にある言葉。物の道理から導いた生産効率の理論値を示し、そこにできるだけ近づくことを促す柳流は、この教えと重なる。

この2月、ラグビーチームが日本選手権で初優勝した。無論、応援にいった。戦略などに口出しはしないが、試合の2日前にメモを書き、監督や選手に渡す。「もっと楽しんで戦え」「ヤマハらしさを出せ」との思いを伝えた。

優勝というのは、二輪車のレース「Moto GP」でのライダー、マシン、チームマネジメントの3点セットと同様に、選手、監督、戦略がそろわなければ無理。そこに一貫しているべきものが、「心誠求之」だ。やや輝きに欠けるサッカーチームのジュビロ磐田も、優勝から遠ざかっている都市対抗野球も、その気持ちを取り戻せば、道は開けるだろう。

ヤマハ発動機社長 柳 弘之
1954年、鹿児島県生まれ。78年東京大学工学部卒業、ヤマハ発動機入社。2000年森町工場長兼早出工場長。03年MBK(仏)社長。07年執行役員、09年上席執行役員・生産本部長、10年より現職。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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