「名門」武田薬品が陥った隘路

事業のグローバル化に大きく舵を切った武田薬品工業が「試練の連鎖」にさいなまれている。

新興国開拓を狙った巨額な企業買収はマネジメントに手を焼き、米国での糖尿病治療薬を巡る集団訴訟問題で2015年3月期は1949年の株式上場以来、初の最終赤字に陥った。加えて、財務の要だった外国人の最高財務責任者(CFO)が6月下旬に引き抜かれ、“御難”続きのありさまだ。国内医薬品最大手の武田は2008年まで無借金経営で、日本を代表する優良企業としてならしてきた。

しかし、15年3月期の有利子負債は8416億円を抱え、かつての雄姿はみる影もない。そればかりか、同期は米国で起こされた糖尿病治療薬「アクトス」を巡る9000件を抱える製造物責任の集団訴訟の和解に向けて、総額27億ドル(約3241億円)の引当金を計上した。その結果、1430億円の最終損失に陥った。赤字転落は上場以降はもとより創業以来初という、「名門」武田にとって汚名以外の何ものでもなかった。

武田の変質は、急速かつ大きく踏み込んだ事業のグローバル化にあったことは言うまでもない。11年以降、売上高1000億円を超える「ブロックバスター」と呼ばれる大型新薬の特許切れが相次ぎ、収益が低下するのに備え、海外企業のM&A(企業の合併・買収)を成長の糧と位置付けた。推進役は当時の長谷川閑史社長(現会長)で、08年に米ミレニアム・ファーマシューティカルズを約9000億円で買収したのに続き、11年にはスイスの製薬会社ナイコメッドを約1兆1000億円で買収するなど、一気呵成に大型買収に突き進んだ。

70カ国以上に広がった事業ネットワークは、マネジメント面に齟齬をきたす。とりわけ、新興国に強く、後発医薬品(ジェネリック)開発の実績も高いナイコメッドの買収は、目に見える成果を引き出せず、日本人経営陣によるグローバルマネジメントに対する能力不足を露呈した。