サイトの悪用を24時間チェック

1962年4月、新潟市で生まれる。会社の経営を引き受けていた父は大柄で威圧感があり、家のことはすべて決めていた。その怖さに、母や姉とともに怯えた。大人になっても、ときどき夢に出てきたほどだ。県立新潟高校から津田塾大英文学科へ進んだが、ずっと古い「女としての生き方」を強要され、「父から自由になりたい」と思って過ごす。

86年4月、マッキンゼー日本支社へ入社した。仕事の内容も進め方も全く知らずに飛び込み、悪戦苦闘が続く。2年で心身とも疲れ、今度は米ハーバード大のビジネススクールを受け、退社して留学した。経営学修士(MBA)を取ったら、ウォール街の投資銀行へ入ろうと思っていたが、母が難病になったため、帰国してマッキンゼーに再入社。だが、再び壁にぶつかり、ついに転職を決めた。でも、最後の仕事になるはずのプロジェクトが面白く、しかもうまくいき、続々といい仕事を任されるようになる。独立して起業するまでの3年、役員に相当する「パートナー」も務めた。

2006年2月、携帯電話向けゲームサイト「モバゲータウン」を立ち上げ、大ヒットとなる。だが、天は、またも「大人虎変」への難題を与えた。サイトにあるメールに似た機能を悪用し、禁止していた出会い型のやりとりで、犯罪に巻き込まれる未成年が出た。対策を強化し、監督官庁と協議の場もつくる。ところが、官庁側は18歳未満の青少年を「モバゲー」などのコミュニティーサイトには入れない、という「フィルタリング」の義務付けを決め、大臣から正式な要請が出た。何とか自由度を守りたいと奔走し、業界団体も第三者委員会を設けて論議し、自主的な取り組みで「安心な利用環境」を目指すことに至る。

結論が出る前後に、東京と新潟に計400人を配置したサイトパトロール態勢を整えた。24時間、365日、交代で不審な書き込みをチェックする。みつけ出せば、削除する。それでも繰り返す会員は、強制退会させた。そうした姿勢が支持されて、会員数は1000万人を突破した。

2011年4月、夫が癌を告知される。手術を受けても厳しい、という状況と思う。できるだけ一緒にいて闘病を支えようと決め、6月に社長を辞めて、非常勤の取締役となる。それから2年近く、夫は奇跡的に、ほぼ普通の生活ができるまでに回復した。気がつくと、40代が終わっていた。でも、企業家精神は衰えることなく、2013年4月に常勤取締役へ復帰するが、ここでもまた、「大人虎変」の出来事を生む。今度は「DNA」によって、命を守る道だった。

DeNA取締役会長 南場智子
1962年生まれ。津田塾大学卒業後、86年マッキンゼー日本支社入社。90年ハーバード・ビジネス・スクールにてMBAを取得。96年マッキンゼーでパートナー(役員)に就任。99年同社を退社、ディー・エヌ・エー(DeNA)を設立、代表取締役社長に就任。2011年6月、取締役ファウンダー。15年6月、会長に就任。著書に『不格好経営』(日本経済新聞出版社)がある。
(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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