大阪市の住民投票は「多数決主義」の暴走

5月17日に「大阪市解体と特別区設置」への賛否を問う住民投票が行われ、否決された。これに政治生命をかけ敗北した橋下徹・大阪市長は、約束通り12月の任期満了に伴い政界を引退する(予定である)。

敗北の記者会見で橋下氏は住民投票の多数決を「究極の民主主義」と言い表した。「選挙で勝った僕が民意」のように、多数決で自分を絶対化してきた彼の姿勢と、いちおう整合的ではある。

だがそうした言説の奇妙な点、そこに漂う暴力性の源は何か。それは多数決と民主主義との、はなはだしい混同である。

いたずらに多数決を有難がるのはただの多数決主義で、それはどうにか「自分たち」を尊重しようとする民主主義とは異なるものだ。例えば「皆で誰かをいじめる案」を賛成多数で決めてはならない。そのような道具として多数決を使うのは民主的でない。

橋下氏は「戦(いくさ)を仕掛けて叩き潰すと言って、叩き潰された」と言う。だが戦で仕掛ける住民投票は、政策というより政争ではないか。そうした多数決主義の暴走をギリギリ食い止めたものとして、僅差の否決を捉えねばならない。

話を根本から考えてみよう。