食肉加工場で働きながら開発
山田が液体冷凍システムを開発したきっかけは、食肉を効率的に冷凍する必要性に迫られたからだった。
父親が食肉関連の仕事をしていたことから、山田家は兄弟や姉もみな食肉会社を営むようになった。ちなみに、山田は三男だ。肉親の関係会社だけで売り上げが総計500億円に達するというほどである。山田は当初、姉夫婦の経営する食肉加工会社に勤め、外食産業向けの商品開発などを手がけた。
「今から30年ほど前、外食産業が急成長し、食肉の取扱量も年々、増えていきました。そのため食肉加工場内の冷凍庫のスペースが足りなくなり、もっと効率的に冷凍して加工量を増やすために、冷凍スピードを上げる研究を始めました」
山田は技術者ではなかったが、小さい頃からものづくりや、「なぜ」と考えることが好きだった。長年、ダイビングを楽しんできたこともあり、海中の水が身体から熱を奪いやすいことを知っており、冷凍に液体を使うというアイデアはすぐに思いついた。仕事の合間を縫って開発を続け、半年ほどで試作機ができあがった。それで肉を凍らせ、姉夫婦に試食してもらうと、冷風凍結より味がはるかにいいとわかり、社内で液体凍結の量を少しずつ増やした。すると、注文が急増し、山田は自信を持った。
3年ほどかけて改良し続け、1989年、満を持して独立、妻と2人でテクニカンを設立した。いよいよ「凍眠」の販売を始めたが、製品化したら買うと約束してくれていた人たちも結局買ってくれない。全く新しい冷凍技術に不安を感じたのだ。ユーザ先に「凍眠」を持ち込み、テストをするが、味の違いは納得しくれるものの買いはしない。
94年に「凍眠」を評価してくれた大手代理店と契約でき、これで売れるかと設備・人員を増やして対応したが、やはり売れず、2億円以上の損失を出してしまった。ことここにおよんで、他人を頼ることをやめ、まずは液体冷凍のよさを地道に知ってもらうことを始めた。
95年に小型機を開発し、車に乗せて、さまざまな顧客先に持ち込み、無償で実演を繰り返した。兄弟など親類関係の企業の協力もあり、少しずつ口コミで広がり、ジワジワと売れていった。これまで納入先からのクレームはゼロで、使ってもらえれば誰もが満足してくれる。
「今後は不足している血液の凍結に挑戦したい」と山田。現在、長期の血液凍結保存は不可能だが、もし可能になれば、自分の血液を凍結保存しておき、必要なときに使うことができると山田は考え、今後、医療機関と共同で研究したいと言う。
冷凍技術に人生を投じた山田が、社会のためにやりたいことは、まだまだたくさんある。(文中敬称略)
●代表者:山田義夫
●創設:1988年
●業種:冷凍システム、フリーザー、解凍機、食品用プレス機などの製造・販売
●従業員:14名
●年商:4億7000万円(2014年度)
●本社:神奈川県横浜市
●ホームページ:http://www.technican.co.jp/