シリア、イラクでISが果たした“役割”とは何か
ISが誕生したのはイラクのバグダッドだが、ISはなぜその後、シリアに戦闘地域を変えたのであろうか。
シリアはイラクよりも脆弱であり、すでにいくつもの戦闘集団が存在していた。これらの戦闘集団を相手に、シリア軍は四苦八苦していた。そしてその中の1つが、同じアルカーイダの支部であるヌスラ組織だった。ヌスラ組織はシリアの中ですでにそれなりの力を発揮していた。そこに同じアルカーイダ系列のISが入ってきたため、戦闘をさらに有利に展開できたのだ。
しかし、世界的に目立とうとするあまりに残忍な殺戮を行うISを、ヌスラ組織は毛嫌いし、アルカーイダも破門にしている。が、この時点でISはすでに、ヌスラ組織もアルカーイダも必要としなくなっていた。
ISが拠点をイラクからシリアに変えたのは、ヌスラ組織の存在以外では、シリア国内に多くの軍団が存在し、政府が対応に苦慮していたことなどが理由であろう。それはまさに正解であった。その後、残忍さで嫌われたISへは、サウジアラビアやカタールからの支援が減っていった模様だが、シリアの北部にある油田や製油所を占拠することにより、軍資金を自分で調達できるようになっていた。
だがここでも考えておくべきは、シリアで手に入れる石油で、何万人もの戦闘員を果たして賄っていけるのかということだ。
米中央情報局(CIA)の発表によれば、ISの戦闘員数は3万1500人、イラクの将軍の語るところでは10万人、そしてイラク・クルドのペシュメルガ軍の将軍の語るところによれば20万人ということだ。ISはこれらの戦闘員に給与を支払い、武器弾薬を絶えず入手し続けなければならない。少しばかりの資金ではやっていけない。ここでも裏にスポンサーがいることを考える必要があろう。
もっとも、IS自身はスポンサーを必要としないと豪語している。彼らは人質の身代金、奴隷の販売、銀行強盗、遺跡からの盗品販売などで、自前で資金繰りができていると語っていた。
しかし今ではサウジアラビアが仕掛けた石油価格の暴落により、ISが盗掘した石油の販売によって得ていた額は半分以下に落ち込んでいるはずだ。
しかも、それすらも石油の密輸に関わる業者の取り締まりが厳しくなっていることから、思うように売れなくなってきているのではないか。加えて、米国をはじめとする有志連合軍による空爆が、ISの支配する油田や製油所を破壊してもいるのだ。