今年の株主総会では、金融危機の影響から攻撃的ファンドによる株主提案は減少した。筆者はこのようなときにこそ、株主と会社の関係を基本に立ち返って考えなおすことができるとし、日本の会社統治における慣行の合理性を説き明かす。

今年の株主総会シーズンは大きな波乱なく終わったといってもよいだろう。会社側の議案が否認された例は報道されていない。また、アクティビストと呼ばれる攻撃的ファンドからの株主提案も減ってきた。金融危機に伴う投資家の動揺でアクティビスト・ファンドからの出資の引き揚げが起こり、兵糧を断たれたファンドは会社を攻撃している余裕がなくなったのだろう。

日本企業にとっては朗報である。このようなときこそ、冷静に、株主と会社との関係を基本に立ち返って冷静に考えなおすことができるし、そうする意義もあるだろう。この基本的な問題をきっちりと考えれば、日本の慣行の合理性を理解することができる。

株主は、持ち分証券としての株式の所有者である。株主と会社との関係で最も重要なのは、株主総会での議決権である。これ以外にも利益の中から配当の分配を受ける権利や会社を清算したときに残余財産の配分を受ける権利などが株式には付帯しているが、議決権こそが株主の最も顕著な権利である。この議決権が株主による会社統治の基本となるものだからである。

ここで当然の疑問として湧いてくるのは、なぜ株主に会社統治の主権が与えられているのかということである。このような疑問が出てくるのは、他のステークホルダーと比べると、上場会社の株主の貢献が見えにくいからである。

そもそも会社は、株主、従業員、銀行、サプライヤーや流通業者などの取引相手、地域社会、政府や自治体などの公的組織体といった、多様な利害関係集団の協働の場である。これらのステークホルダーの多くと会社は直接的な取引関係を持っている。株主は会社に出資しているが、直接企業に資本金の払い込みをしてその対価として株式を得ている株主はそれほど多くはない。直接的関係を持つのは、増資に応じた株主だけである。

株主の多くは、すでに株主であった他の株主から株券を買った人々である。たとえ第三者からであっても、株主の権利を譲り受けたと考えれば、株主の権利は正当なものと考えることができる。しかし、その意味で株主の貢献は間接的なのである。それにもかかわらず、なぜ株主に会社統治の権利が与えられているのか。

この基本的な疑問に答えている教科書は少ない。会社統治に関するテキストの多くは、株主が会社統治の主権者であることを前提として書かれており、なぜそうなのかという疑問には答えていない。会社統治とはよりよい経営を担保するための制度である。株主による統治がよりよい経営に資すると考えることができれば、株主主権は合理化される。