当たり前の暮らしを継続できる
2000年に施行された介護保険制度は、家族の介護に頼らない社会的介護サービスによって高齢者の在宅療養を支えることが目的である。スタート当初は国の役人に「走りながら考える制度である」と、言わしめたほど不完全であったが、制度運営が10年近く経過したことによって、利用が定着し、介護の問題を身近にとらえる人が大幅に増えた。
しかし、在宅介護の行き着く先、つまり、人が最期のときを迎える場所がどこか、という観点から分析すると、在宅介護の環境が充実してきたにもかかわらず、自宅で死を迎える人の比率は12%程度にすぎない。つまり、約9割近い人が病院や高齢者施設で死を迎えていることになる。昭和40年代当初は、この比率が全く逆で、大半の人が自宅で死を迎えた。今後、日本の介護・福祉は、さらなる在宅重視の方向性が示されていることを考えると、在宅死の比率を少しでも高めていくことが、避けて通ることのできない課題といえるだろう。
そこで、注目されるのが「在宅医療」の存在である。2008年の秋に、倉本聰氏が、北海道の富良野を舞台に『風のガーデン』を書いた。開業医の父が、勘当した末期がんに侵された麻酔科医の息子を自宅で看取るストーリーで、在宅ホスピスケアの本質的な意義を描いていたものであった。在宅医療とは、命の長さではなく、質を求める医療である。長寿を目指すのではなく、天寿をかなえる医療といえる。
この在宅医療を自宅に持ち込むことができれば、在宅介護を全うする可能性は大きく膨らんでくる。在宅医のいる家庭では、介護を受けている高齢者が肺炎になったとしても、あわてて病院に入院させる必要がない。在宅医の訪問診療と看護師の訪問看護を上手に利用することで、自宅でも治療が受けられるからだ。高齢者の場合、1週間ほどでも病院で入院生活を送ると、環境の変化が原因で認知症の初期症状を発症するケースも少なくない。介護と医療の上手な使い手になることによって、高齢者の介護環境は飛躍的に改善されることは間違いない。
しかも、病院に入院するのと、在宅医療を利用する場合には、かかる費用の面から見ても違いが生じる。
表を参照いただければ明らかなように、例えば肺炎で2週間、一般的な病院に入院すると、入院基本料だけで、自己負担額が6万9762円(3割負担)かかる。これに、差額ベッド代金や食事、おむつ費用などの経費を加算すると10万円近い費用は覚悟しなければならない。これに対して、在宅医療を利用した場合、在宅時医学総合管理料に往診費用、訪問看護利用費を含めても自己負担額は、月額2万7555円(3割負担)程度に抑えることができる。これに、介護保険サービス利用によって生じる自己負担額(サービス利用料の1割)がかかるが、住み慣れた自宅、地域での暮らしを継続できることを考えれば、そのメリットは大きい。
在宅医療に関わるある医師は、「自宅での療養生活は、病院のベッドの上で最期のときを迎えるのをじっと待っているような状態では経験することのできない、当たり前の生活を継続できます。在宅医療とは暮らしに寄り添う医療なのです」と語っている。在宅医療に関わる医師は全国で、まだ1万人程度だが、ネットワークは広がりつつある。在宅介護・医療を組み合わせた療養環境づくりが必要である。
※すべて雑誌掲載当時