教育現場のブラック化についても、その原因は、本来ならば家庭で行われるべき「しつけ」や「生活指導」が、学校に投げっぱなしになった結果とも言えます。女性の社会進出が進み、共働きの家庭が増える中で、従来であれば家庭が担っていた教育が、学校に期待されるようになったとも言い換えられるでしょう。

日本は諸外国に比べて、GDPに対する教育予算が少ないという指摘もありますが、これは急激な少子化を踏まえると単純には言い切れません。OECD加盟国の教育機関への公的支出の割合は平均5.4%で、日本は3.6%です(※1)。その一方で、日本は少子化により、総人口に占める子供の割合がOECD平均値の約0.7倍になっています。この数字を教育予算の対GDP比に当てはめると、日本の教育予算は決して少なくないことがわかります。予算に対して教員の不足感がある理由は、日本の教員の給与が各国に比べて高いことにあり、強い労働組合に守られている側面も否定できません。

教育は社会の根幹をなす重要なものです。我々は適切な教育予算の枠内で、どうすれば現在の高い教育水準を維持できるかを議論すべきでしょう。現状の教育現場が疲弊しているとすれば、学校、地域、家庭が、それぞれで負うべき責任の比重を見直すことが必要になるはずです。公教育の役割を限定的にして家庭での教育を求めるか。もしくは女性の社会進出を促して公教育が負担する部分をより大きくするか。議論の方向性は大きく二分されます。