田原総一朗氏

【田原】ローカルの話をうかがう前に、グローバルの話も聞かせてください。日本のグローバル企業は、どうして競争力を失ったのですか。

【冨山】経済のグローバル化とデジタル革命についていけなかったことが大きいでしょうね。デジタル革命は、オーディオ・ビジュアルやコンピュータの分野でモジュラー化、つまり水平分業をもたらしました。部品を組み合わせれば誰でも製品をつくれるようになったのですが、日本の会社の形は水平分業に対して相性がすごく悪い。

【田原】日本の会社はトヨタ自動車に代表されるように、みんなですり合わせて作り込んでいくスタイルです。

【冨山】そうです。たとえば日本の会社は職務定義がはっきりしていなくて、いろんなことを行います。なおかつ終身雇用・年功制だから、みんな顔見知りです。つまりジェネラリストが集まって、チームワークで物事を進めていくというモデルです。でも、いまは「AとBとCを組み合わせればiPod」という時代で、そうした発想ができる人が1人いればできてしまう。

【田原】スティーブ・ジョブズが1人いればいいんだ。

【冨山】デジタル革命で製品やビジネスの寿命が短くなった点も大きい。本当はAという事業の寿命が終わったところで、今後成長するBという事業に収斂していけばいいのですが、日本は終身雇用という暗黙の約束があって、Aの事業から簡単に撤退できない。その結果、儲からない事業を抱え込んだままきてしまった。

【田原】太平洋戦争のときと同じですね。転戦・撤退できなくて、結局、玉砕しちゃう。でも、どうして撤退できなかったんだろう。

【冨山】産業再生機構をやっていたときに、大型液晶に関してはコンソリデーション(整理統合)しないと無理だという議論がありました。日本の各メーカーがバラバラでやっていてもサムスンやLGに個別撃破されるので、各社が事業を切り出して、シャープなりパナソニックなりに一元化しようというわけです。実際、各メーカーのトップの人たちも乗り気で調整に動いていたのですが、最後の最後で、みんながそれぞれ、「自分が他社を買収する側に回りたい」といい出した(笑)。

【田原】みんな一元化には賛成でも、自分が買収されるのは嫌なんだ。

【冨山】当時は売上高がまだ前年比でプラスでしたから、社員は納得しないというんです。だから各社のトップは危機感を抱いていたのに、結局は成立しなかった。ここが撤退の難しさです。事業の撤退や売却はトップダウンでやらないと決まらないのですが、日本の会社はボトムアップのすり合わせ型だから、それができませんでした。

【田原】悪い意味での民主主義だ。

【冨山】日本の会社では、村の空気を読んで無茶なことをしない人のほうが据わりはいい。ヘタにトップダウンでやろうとすると、下克上で首を取られます。一時期、いくつかの日本の電機メーカーがトップ人事でゴタゴタしていたことがありましたよね。あれは、織田信長のような手法への抵抗です。現代における「本能寺の変」でした。