【田原】コマツといえば、建設機械の遠隔管理システムであるKOMTRAXが有名ですね。これが再生の原動力になったと分析する人もいます。これは、どのような経緯で生まれたのですか。

【坂根】私が社長になる前の98年頃に、建設機械を盗んでATMを壊す事件が続発していたことを覚えていますか。あれを見ていて、どうにもいたたまれない気分でした。私はブルドーザーの設計者からスタートしているし、アメリカと日本で、販売後のサービスを担当する部署の部長をやっていたこともある。自分たちが苦労して売った機械が盗まれ犯罪に使用されるなんて、悔しいことじゃないですか。これを何とかしたいと考えたのがきっかけです。

【田原】最初は防犯用だった。

【坂根】ええ、お客さんは通常、ある現場に常駐して仕事をします。だからまず「GPSを活用して指定の場所から機械が離れたら、アラームが鳴るようにできないか?」と考えたのが出発点でした。その後はICTやセンサー技術が格段に進歩しKOMTRAXはどんどん進化しています。センサーがついていれば、たいていのことは把握できます。いまエンジンが動いているのかどうかとか、燃料がどれだけ残っているかということもわかる。現場へ行かなくたって稼働状況がつかめるのです。

【田原】いつごろできたのですか。

【坂根】00年ぐらいですね。1000万円の機械で約20万円のコストがかかっていました。最初はお客様からオプションでお金をいただいていましたが、これはお客様のためではなく、自分たちのためにつけていると思い直し、社長になったときに標準装備にしました。以来14年で、世界中に約34万台の建設機械にKOMTRAXが装備されています。

【田原】KOMTRAXが自分たちのためになるって、どういうことですか。

【坂根】たとえば中国では流通在庫がほぼゼロになりました。他の地域では一般的に代理店は自分の責任でメーカーから商品を仕入れて在庫を回しながら販売します。しかしわれわれは中国で新しいやり方に取り組みました。代理店は契約を取ると、「サインが終わりました」と工場に連絡。工場はそれを受けて機械を出荷します。ただ、本当はお客さんのところで動かすのが1カ月後なのに、機械を早めに確保しようとする代理店もあります。それが流通在庫になるわけですが、KOMTRAXなら、いつどこで動いているのかをチェックし、正しいセールスだったのかという判定ができます。

坂根正弘
1941年、広島県生まれ。島根県立浜田高校卒。63年大阪市立大学工学部卒業後、小松製作所(現コマツ)入社。90年コマツドレッサーカンパニー(現コマツアメリカ)社長、94年常務取締役、97年専務取締役、99年代表取締役副社長を経て、2001年代表取締役社長兼CEO。07年取締役会長を経て、13年から現職。コマツを世界的なエクセレントカンパニーに育てた立役者。経団連副会長、政府の産業競争力会議の民間議員の論客としても活躍。
田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。県立彦根東高校卒。早稲田大学文学部を卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。幅広いメディアで評論活動を展開。
(村上敬=構成 宇佐美雅浩=撮影)
【関連記事】
米国流の「理」、日本流の「情」―コマツ 坂根正弘
どこを犠牲にするか「着眼大局・着手小局」こそ命 -コマツ会長 坂根正弘氏
タカラの山を掘り当てる「知行合一」の伝道話法:コマツ会長
“コマツ・ショック”で再考迫られる新興国リスク
赤字事業再建:「社長は3回来て終わり」の常識を覆す -コマツ社長 大橋徹二氏