【田原】社内の反応はどうでしたか。各事業の代表が役員になるケースが多いから、整理するといっても反対ばかりでしょう。いい例がカネボウです。あそこは事業の整理ができなくて倒産してしまった。
【坂根】うちは私の先々代の社長のときにボードに社外取締役を入れて、同時にスリム化もしていました。そのときに、事業責任者の代表でボードを構成するのもやめたのです。
【田原】それはすごい。
【坂根】いまだに事業責任者がボードになる会社もありますよね。私が知るかぎりで言うと、そういう会社は不採算の事業部を切れないどころか、弱い事業ほど大きくしようとします。弱い事業の担当役員は社内で肩身が狭いために、「あの会社を買いたい」と積極策を提案してくる。その結果、ますます大きくなってしまう。
【田原】そういう点では、坂根さんは事業の整理がやりやすかったわけだ。
【坂根】コマツは世界2位の建設機械メーカーで、当時でも建設機械や産業機械は大半が2位以内の商品でしたからね。世界5~6位の事業は、売り上げで言うと当時1兆円のうちの1割くらい。もちろんそれでも大きいですけど、トップが決心すればやれます。
【田原】雇用のほうも手をつけた?
【坂根】2001年に国内で働いている約2万人全員に、「いまもし会社を辞めてもいいと思う方は、退職金にこれだけ上乗せします。あなたの場合は、この額です」と手紙を送りました。要するに希望退職ですね。
【田原】人数はどれくらいでした?
【坂根】結果的には1100人の方が退職に手を挙げられました。あと子会社に出向している社員1700人に、元の給料体系との差額をまとめて払うことで転籍してもらいました。合わせると、国内の社員のうち15%。もう二度とこういうことをしなくていいように、1回だけやらせてほしいということで踏み切りました。
【田原】1回で済みましたか。
【坂根】ええ。まだバランスシートは悪くはなく健康体に戻れる状態のときに手をつけたので。その後は市場環境の好転と日本のモノづくり競争力に自信を取り戻し、日本に新工場をつくったり、古い工場を建て直したりして、2万人が一度、1万8500人になって、いまは2万2000人に増えています。