社長に就任して初の決算で800億円の赤字を計上するも、翌年には見事、V字回復を実現したコマツの坂根正弘相談役。同社を日本有数のグローバル企業に育てあげた手腕を評価され、現在は産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議の民間議員を務めている。アベノミクス第3の矢、成長戦略は本当に日本経済を復活に導けるのか。
坂根正弘氏

【田原】コマツはいまグローバル企業の優等生ですが、坂根さんが社長に就任した当時は厳しかったそうですね。

【坂根】そうですね。あの当時、アメリカの競合相手と数字を比較したら、興味深いことがわかりました。うちは固定費の比率が24%で、彼らは18%。一方、営業利益はうちが6%少ない。営業利益に固定費を加えると粗利ですから、要するに稼いでいる粗利は同じ割合なのに、うちは固定費を6%たくさん使っているため利益が少なかったのです。

【田原】なぜ固定費が多かったのです?

【坂根】当時は他の多くの日本企業同様、雇用を守るために、低収益事業を温存したり多角化という名目でいろんな事業に手を出していました。しかし、新規事業といっても他社の後追いにすぎず、競争力がありません。たいして儲からない事業をたくさん抱えていたせいで、固定費が膨らんでいたわけです。それと、ホワイトカラーのムダも大きかった。日本人は細かく仕事すればするほどいいと考える傾向があって、人事や経理のITシステムも自前でつくりこもうとします。一方、アメリカの会社は、人事や経理みたいにどこの会社にもある仕事については自前でつくらず、既製のシステムを使う。その差は社会全体で考えると人材の流動性が容易になったり非常に大きいものがあります。

【田原】企業は普通、業績悪化すると変動費を削減しますね。でも、坂根さんは固定費のほうを削減した。よくできましたね。

【坂根】アメリカの合弁会社の社長だったときに経理・会計のシステムが既製服であることの合理性を痛感しました。それを日本側でもやってほしいと当時の社長に話をしたら、一大決心して5年がかりの大プロジェクトを実行して仕組みを変えてくれた。ただ、事業と雇用については前の社長も手をつけていませんでした。それで私が社長になったときに、世界1~2位になれそうな商品・事業以外はやめると宣言して整理しました。300社あった子会社は2年間で統廃合し110社減らしました。