社名やロゴを新しくしても、業績が回復する前だから、大きく広告を打てるわけではない。ただ、当時でも、社員は約2700人いた。彼らが一歩、社外へ出れば、多様な場面でいろいろな人に会う。そこが「宣伝」の場になる、と考えた。それまで名刺も配られていなかった工場勤務の人にも、新しいロゴ入りの名刺を渡す。同じ仲間として一体感を持ってもらうためだったが、CIで最も劇的に変身してくれたのは、そうした現場で働く人たちだった。

当時は、まだ街にビールの自動販売機がいくつもあり、おじさんとおばちゃんが2人1組になって、おじさんは故障している自販機をみつけてはスパナで直し、おばちゃんはバケツと雑巾を持って自販機をきれいして回る。ここでも、世の中の目と耳は、力があった。「アサヒは、ビールの味だけでなく、会社も変わったな」との声が、広がっていく。

「以天下之目視、以天下之聽」(天下の目を持って視、天下の耳を以て聽く)――中国・漢時代の儒学を主とした書『淮南子』にある言葉で、人々の心を知り、それを自らの心とするようにリーダーの責務を説く。CIを機に、消費者の声を把握して進むべき道を示すようになる泉谷流は、この教えと重なる。

1948年8月9日、京都市の御所近くで生まれた。両親と弟、妹の5人家族。地元の小中学校から大徳寺近くの市立紫野高校へ進み、応援部では団長になった。京都産業大では、どちらかと言えば硬派で通す。

大学3年の2月、スキーから帰ってくると、友人たちが「就職の内定をもらった」と口にした。あわてて大学の就職課へいき、募集書類をめくると、あいうえお順だったので朝日麦酒が出てきた。関西では名の通った会社で、食品分野は面白そうだと思い、就職課に「受けてみたい」と言う。だが、申し込み期限の前日で、学長の推薦状が間に合わず、ゼミの先生の家までいって書いてもらう。そういう経緯だから、会社訪問をしたこともないし、受けたのは1社だけ。これも縁だろう、と思う。