規格争いを制した「試作ライン」決断

2005年4月、米カリフォルニア州南西部のトーランスにあるDVDやゲーム機のディスク工場に、新たな試作ラインを設置した。費用はかかるが、ブルーレイのディスクをつくり、その生産の容易さとコストの低さを、ハリウッドの映画会社の面々に実証するために、決断した。前年にデジタル機器開発の技術担当役員となり、大阪府の本社で、ブルーレイ実用化の指揮を執っていた。48歳のときだ。

パナソニック社長 津賀一宏
1956年、大阪府生まれ。79年大阪大学基礎工学部生物工学科卒業、松下電器産業(現・パナソニック)入社。86年カリフォルニア大学サンタバーバラ校コンピュータサイエンス学科修士課程修了。2004年役員、08年常務役員、11年専務役員、AVCネットワークス社社長、12年4月代表取締役専務を経て、同年6月から現職。

ブルーレイディスクは、提携先と自社の技術を組み合わせ、薄い基板とカバーの2層構造とした。容量は50ギガバイトで、当時普及していたDVDの10倍を超える。長編映画も楽々と納めることができ、映画会社が望んでいた「きれいな音」も劣化させることなく、収録・再生できるようになる。競争相手が掲げたDVDディスクを2枚貼り合わせる方式は、容量が小さく、そこまでは難しい。ただ、「ブルーレイディスクを、安くつくることはできない。仮想の案だ」と攻撃されていた。

20年前に参戦したDVDの規格争いでは、前号で触れたように、日欧の強豪を敵に回しながら、容量を大きくしてハリウッド勢を味方につけ、自社技術に花を咲かせた。だが、今回は、5カ月前に有力な映画会社4社が、コスト安と安定生産を強調する競争相手のほうを支持すると表明し、窮地に陥りつつあった。

確かに、DVDディスクの生産は順調で、コストも安い。だが、同じ技術の延長戦では、飛躍がなく、収益も低い。技術者としての自負に加え、役員として収益の確保に責任も負う。出した答えは「では、お客さんの前で、実際に安く簡単につくってみせようじゃないか」だった。

実証的な手法は、大学時代から得手だ。卒業研究でマイコンを設計してつくり、教授にみせたら「できがいいのかどうか、客観的な評価ができない」と言われ、「では」と別の手づくりマイコンで音声認識をやってみせ、無事に卒業した。2011年4月に映像機器などを扱う社内カンパニーの社長になった際は、自宅に自社のプラズマテレビと競争相手の液晶テレビを並べ、1週間、見比べた。プラズマは、画質が優れていてもコスト面で差をつけられ、事業をどうするか、決断を迫られていた。