ロゴと味を変えた「遠慮のない提案」
満40歳だった1989年元旦、会社は社名を朝日麦酒からアサヒビールに変えた。ロゴマークも、朝日が水平線に浮かぶ「旭日」から、鮮やかな青字の「Asahi」に変えた。すでに、社名表記は改めていたが、正式な「変身」だ。前年には、新しい社歌も制定されていた。
そうしたコーポレート・アイデンティティー(CI)活動の展開に、道筋をつける役を果たした。労組の専従役員を務めた後、83年秋に復職し、しばらく広報部で体と頭を慣らしていたら、社長に呼ばれた。社内に兼務メンバーによる検討組織ができていたCIについて、専従でやってくれ、という。でも、CIとは何か、知らない。そのまま近くの書店へいき、関係した本を何冊も買い込み、夜を徹して読んだ。
当時、CIと言えば、社名やロゴを変える「みた目」の変化が中心だった。だが、書を読むと、どうもそうではない。全社員の意識と行動、商品の在り方まで見直して、新たな企業像を生み出していくことだ、と思う。そう具申すると、主取引銀行からやってきていた社長も、かつての経験から同じ意見だった。
ビール業界には、70年代に市場シェアが6割を超した「ガリバー」がいた。朝日麦酒の業績は低迷し、社内には危機感が広がっていた。ただ、どうしたらいいのかとなると、誰もわからない。コンサルタント会社には「会社そのものが、賞味期限が切れている」とまで診断された。
CI専従になった翌年、同世代の7、8人と、何をやるか論議するチームをつくる。団塊世代は、戦前派のようには過去に郷愁もない。会議では、遠慮のない提案が続出する。
「旭日」のロゴを変えるとともに、「ほろ苦い」というビールの味も変えるべきだ、となった。これには、年上世代は反対だ。そこで、消費者5000人に対して、味の調査を実施した。どちらの主張がニーズと合致するか。世の中に問いかけた。
そこから「味にコクがあり、のど越しにキレがある」という新商品が決まる。CIも、86年1月に導入された。2年前にビールの全国シェアがついにひとケタに落ち、前年には9.5%の最低記録にまでなったが、反転攻勢へと向かう。