ダイハツ 上田 亨(写真右)
1984年入社。シャシー設計部部長などを経て2008年より新型車両の開発責任者に就任、イースを担当。10年よりミライースプロジェクトを指揮。12年より製品企画担当役員。 
ダイハツ 片山英則(写真左) 
1982年入社。エグゼクティブチーフエンジニアとして新型タントの開発を担当。上田とは同学年で、従前から仲間たちと一緒に仕事帰りに縄暖簾をくぐる関係だった。

従来は各部署から人を出してもらい開発プロジェクトが組まれた。チーフエンジニアは集まったメンバーのリーダーだったが、上司ではなかった。上司はあくまで各部署の部長である。これが異動させたことで、上田が上司となったのだ。100年を超えるダイハツの歴史で初の試みだった。30人のメンバーについては「自分で決めることができる人。元部署にも“物言い”ができるタイプ」(上田)を基準に選んだという。「決して、チーム内に壁をつくるな! 責任を持って困難な開発に挑める奴だけを、俺はここに招集した」と上田は訴えた。

約30人のチームが発足したとき、「JC08モードで30キロの燃費性能」と「80万円を割る価格(最終的には79万5000円)」という2つの目標とともに、17カ月後の11年9月という発売時期も決まっていた。

新体制はそれまでの「縦割り」から、「横につながる」開発へと変わった。例えば燃費について、まず上田が大まかなシナリオを立てる。次にチーム内に、エンジンやCVT(無段変速機)など10人ほどのワーキンググループをつくり、アイデアを出し合っていく。横のつながりはチーム内に限定せず、社内他部門にも広げた。「圧縮比を上げ、ノッキングを防ぐためエンジン冷却をどうするか」「インパネ部品を減らす」など、チームの直面する問題点をガラス張りにした。特に、「部品軸」という考え方で、軽量化や部品点数削減が果たされていった。

上田は決して怒らない上司であった。メンバーだった若手は「それまでは、チーフエンジニアにもの申すなど考えられなかったのですが、上田さんには気軽に提案できました」と告白する。

こうして「ミライース」は計画通り商品化され、低燃費技術を具現化させるイーステクノロジーができあがる。

イーステクノロジーを使い、ダイハツはスーパーハイトワゴンにも低燃費技術を導入していく。3代目タントは、ミライース発売と前後して開発プロジェクトが始まり、13年10月に発売される。燃費性能は28.0キロ。前モデルより3キロ改善した。