堺雅人の中国語はどう評価されたのか
一方、堺雅人の中国語をめぐっては、興味深い現象も起きている。
実は現在の中国では、景気の落ち込みや学歴競争などを背景に、海外移住を目指す「潤(Run)」という動きが見られている。こうした人々の間では、本来中国国内からのアクセスが制限されている海外サイトを利用することも、半ば公然たる事実だ。
そうしたなか、Xで日本メディアが「堺雅人の中国語が中国ネットで絶賛されている」と報じたことをきっかけに、中国人自身が「VIVANT」を視聴する現象も起きた。
実際の中国人の反応を総合すると、日本人俳優としては十分に努力の跡が見えるという評価である。一方で、「字幕なしでもだいたい聞き取れる」「悪くない」といった感想が、より実態に近いようだ。
ここまでが「VIVANT」をめぐる中国のリアルな反応である。
VIVANTが描き切れなかったこと
当然ながら、作品を娯楽として楽しむ人もいれば、政治的な文脈から批判する人もいる。俳優への評価と作品への評価を切り離す人もいれば、騒動をきっかけに初めて作品に興味を持った人もいる。
「推しを最後まで見届ける」「推しをやめる」「逆に興味が湧いた」。その反応はさまざまであり、一括りにして中国人の評価と呼ぶことはできない。
ただ、今回の一件について考えたいことがある。
堺雅人と阿部寛が中国でその地位を確立した背景には、彼らの出演作が中国の人々の価値観や社会問題に深く刺さったという事実がある。つまり、二人の人気は、日本作品が中国社会との接点を持っていたからこそ生まれたものでもある。
それにもかかわらず、今回の「VIVANT」は、二人が中国で築いてきた人気を生かしながら、中国社会を描くための理解が十分だったとは言い難い。
中国を題材にするのであれば、まず中国を知ること。もし、そのような配慮があれば、少なくとも今回とは違った受け止められ方があったはずだ。
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