シンシーとリアルの差

劇中の設定では、シンシーを率いる樊林杏(ハン・リンシン)は、元中国公安部第6局長という経歴を持っている。

しかし、中国の公安部は日本でいえば警察に近い組織である。外国の諜報機関を追跡したり、海外で諜報活動を展開したりする組織として、より近いのは国家安全部(国安)だ。

また、中国の諜報機関に、暗殺などの実行までを担う独立した組織が存在するという公知の証拠はない。海外での監視、脅迫、強制送還、政治活動への妨害などについては、具体的な事例や証拠が積み上がっている。一方、海外での暗殺活動については、公に確認された実績があるわけではない。

作品のなかでシンシーのような組織を描くのであれば、それが中国のどの諜報機関と、どのような指揮系統で結びついているのかという説明が必要になる。

さらに、シンシーを通して描かれる中国の社会統治手法にも、中国社会への理解不足が見られる。外から見ると、中国は一党独裁による強権的な支配体制に映るかもしれない。しかし、中国の統治能力は警察官や監視カメラの数だけで測れるものではない。

監視カメラだけではない中国の統治

重要なのは、社会の末端にまで組織を張り巡らせ、必要なときに住民を把握し、動員できる仕組みにある。中国では地域を細かな単位に分け、それぞれに担当者を配置することで、住民の状況やトラブル、不審者、社会的リスクなどを把握する仕組みが構築されている。

新型コロナウイルスの感染拡大初期に、中国がゼロコロナ政策を徹底できた背景にも、こうした地域ネットワークを通じた連携と動員があった。

PCR検査の行列
筆者撮影
PCR検査の行列

もちろん、こうした仕組みには住民のプライバシーや自由を制約する側面もある。しかし、中国の統治を理解するには、単に監視や警察による強制力だけでなく、社会の末端まで張り巡らされた組織と動員の仕組みを見る必要がある。

「VIVANT」第2シーズンでの中国描写に対する批判を整理すると、中国社会の複雑な現実を掘り下げるよりも、物語上の敵役として分かりやすく描くことが優先されていたことに目が向けられているように思える。

その結果、中国を題材にしているにもかかわらず、実際の中国の制度や社会構造とは切り離された、汎用的な諜報組織の物語になってしまったのではないか。これが「VIVANT」を「抗中神劇」と揶揄する人々の批判の根底にある。